いつの間にか取り出した短機関銃の銃口が、目の前にいる男に向けられる。
視線は針のように鋭く尖っている。
「今回の事の真相とは、どういう意味でしょうか、様?」
「言葉通りよ。あなたが裏で、いろいろ細工していたんじゃなくて?」
「はて、私がそのようなことをするために、ここへ来たとでもおっしゃりたいのでしょうか?」
「私はさっきからそう言っているはずよ」
言葉の駆け引きを続けながら、は相手の裏をかこうとする。
だがケンプファーはそれを気にすることなく、とのやり取りを楽しんでいた。
「エステルを聖女に仕立て、ラフマン卿に彼女を襲わせた。けど彼女はエステルと手を組み、
ダヌンツィオ大司教を捕らえようとしたが、逆に罠にはまって、忽ちエステルは叛逆者となった」
「なるほど、表に出てなくても、そこまでの散策はしているのですね。さすが様。
“神のプログラム”を慕っているだけのことはある」
「その、『様』っていうの、やめてもらわないかしら。余計に腹が立つ」
何の理由があり、彼がこのように呼んでいるのか分からないが、
はケンプファーが事実を述べないことに苛立ちを感じていた。
それを市ってか知らぬか、ケンプファーはいつもと変わらず、細葉巻を取りだし、それに火をつけた。
「今日の新聞には、シスター・エステルが死亡していたことになっていました。つまり、バビロン伯と
彼女を処分する準備をし始めた、というわけです。ですから私は、シスター・エステルとスフォルツァ
枢機卿との間の梯子役を買って出たまでのことです」
「梯子役を買って出た?」
ケンプファーの言葉に、は首を傾げる。
一体、何が言いたいのであろうか。
「先ほど、シスター・エステルにお願いされて、ある手紙をアベル様に届けて欲しいと言われましてね。
それで、ここまで足を運んだわけです。お蔭様で、手紙は無事に預けることが出来ました」
「…………いつ……、いつ彼女に会ったの?」
「イシュトヴァーン駅で会ったのが最初でした。そして昨夜、闘争中の彼女とバビロン伯をお助けしたのですよ」
ここまで話を聞いて、ははっとして、相手の顔を見つめた。
昨夜、エステルを追跡していた映像・補助プログラム「セフィリア」が
エステルとシェラザードを乗せた車を追跡している途中で、野犬の1匹に襲われた。
その後2人は、の宿敵であるバトラーに助けられ、
ホテル・ツイラーグのスイートルームへ通され、そこで一夜を過ごした。
はその部屋を捜索したが、バトラーの姿を目撃することなく、逆に長生種であるグテーリアンに追われ、
その場を退散せざるを得なくなった。
そしてその後、そのグテーリアンが薔薇十字騎士団の1人だと分かり、
必然的にバトラーも同じメンバーだということが分かった。
そして、今のケンプファーの言葉。
それは近くで、エステルとシェラザードとのやり取りを目撃していたとしか考えられない発言だった。
つまり、バトラーとグテーリアンとの側に、彼の姿も存在していたのだ。
しかし可笑しい。
プログラム達が感知したのはグテーリアンだけのはずだ。
バトラーの姿は目撃されていないどころか、ケンプファーですら察知していない。
「彼ら」がケンプファーに姿に気づいたのは、
先ほどホテル・ツイラーグを出た、あの時だけなのだ。
「ああ、そうそう、あなたに聞きたいことがございました――」
物思いに耽っていたに、目の前の男は気さくに声をかける。
それは本当に、何かを思い出したかのようで、不可解さを感じないものだった。
「彼は――ウィリアム・ウォルタ・ワーズワースはお元気でしょうか?」
ケンプファー自身は、特に悪気があってこの名前を言ったのではないのであろう。
しかしにとって、彼の名前を知っている相手に大きく目を見開いた。
「実は私、彼に大変お世話になっておりましてね。さる事件以来、すっかり音沙汰だったので、
少し心配してたんですよ」
言葉が、1つ1つ、棘のようにの胸を突刺して行く。
そして、あの時の光景が目の前に広がって行く。
赤い海、そして、目の前に転がる1人の女性。
辛そうに、涙を流し、横たわるその人物は――――。
「まさか…………、あなたが………………!!」
銃を握る手が、自然とガタガタ揺れ始める。
そして目は、まるで獣でも思わせるかのように鋭く、ぎらぎらと光を帯びている。
「どうやら、思い出してくれたようですね、様。――いいえ、・キース大佐」
の異変に対して、ケンプファーは平然と構えていた。
むしろ、どこか楽しそうに見える。
「ちょうどいいので、あの時のお話でもしましょうか。――彼女はとても美しい方だった。
だから、どうしても私のものにしたかった。けど逆に、私は彼女を手放すことになって
しまいました。今でも思い出しますよ。あの、生暖かい、赤い血の温もりを……」
ケンプファーの言葉は、ここで途切れてしまった。
目の前から、とてつもない突風が吹き荒れたからだ。
白煙が、の体を覆い被さる。
どんどん濃くなり、彼女の姿が見えなくなって行く。
そしてその中から、地面に響くのではないかと思わせるほどの音が、周りを包み込んだのだった。
[ナノマシン“フローリスト” 40パーセント限定起動――承認!!]
白煙を突き破るかのよに、目の前から何かが突進してくる。
それが握っている大剣がケンプファーの体を真っ二つにするかと思いきや、
目の前で展開された大きなバリアで食いとめられてしまった。
“アスモダイの盾”――極めて強力な電脳防壁を体の周囲に張って、
あらゆる物理攻撃を跳ね返す強力なシールドである。
「どうやら、お怒りにふれたようですね」
長い茶髪の髪が天を向き、口からは鋭い牙を見せ、赤く染まった目を見ても、
ケンプファーの表情はいたって冷静そのものだった。
「どうやって慰めたらいいのか、私には分かりませんが、とりあえず落ちついてください。
こちらの事情もあったわけですし……」
「よくも……」
声のトーンは同じだが、殺気立つ声が鼓膜に届く。
「よくも……、よくもフランセスを…………!!」
ぴきっ、とどこからともなく音がする。
見てみれば、大剣の1格にぶつけられた“アスモダイの盾”にヒビが生え始めたのだ。
「ほほう、少し甘く張りすぎたようですね。これでは、ヒビが拡大してしまう」
腕に痛みが走ったのは、ちょうどその直後のことだった。
それが右腕を見つめると、そこには自分と同じく鋭い牙を持つ野犬の1匹が食いついていたのだ。
離すかのように腕を振り払うと、野犬は地面に叩きつけられ、そのまま蹲ってしまう。
しかしそれも数分のことで、背後から彼の仲間が大量に攻め込んできたのだ。
「ちっ……!!」
仕方なく大剣を盾から離し、野犬へ向かって振り下ろされる。
普通の女性なら持てないであろうその大剣は風を切り、軽やかに舞っている。
しかし、野犬の数は減るどころか、逆にどんどん増えている。
「邪魔だ……。どけっ!!」
時に飛びついてくるものをふるい落としながら、赤い目をした者は、
先ほどまで剣を向けていた相手へと近づこうとする。
しかしその道を塞ぐように、再び野犬が取り囲み、一向に前へ進めない。
「さて、あとは彼らにお任せして、私はそろそろ失礼するとしましょう」
どこか安心したかのような表情をしながら、
ケンプファーは野犬と奮闘する者――に微笑む。
そしてその体が、地面に移る影へと吸い込まれて行く。
「待て……」
消え行くケンプファーに、は大きく剣を振るう。
出された剣圧が、勢いよくケンプファーへ飛んで行くが、
それも先ほどの“アスモダイの盾”によって塞がれてしまった。
「待て……、アイザック・バトラー!!」
「ご心配いただけなくても、またすぐにお会い出来ます、キース大佐」
うっすらと微笑み、そして影の中へ消えて行く。
そして声だけが、の鼓膜に届けられた。
「ですからそれまで、ご自分の周りを再度見回してみて下さい。――どこかで何かが、
かけ始めているはずですから」
そう言い残し、ケンプファーの体は完全のその場から消失してしまった。
再び消えた影に、はしばらくそこを凝視する。
背後から野犬の泣き声が聞こえていたが、
そんなこと、今の彼女にはどうでもいいことだった。
脳裏に浮かぶ光景。血にまみれ、その中央に寝かせられた、1つの死体。
その表情は涙を流すことなく、痛みにあえぎ、そして――――。
何かを失ったかのように、目を見開いていた。
「…………うわああああああああああっ!!!!!!」
獣にも似た叫び声が響き渡ったのと同時に、
周りを取り囲んでいた野犬達が、一斉に切り刻まれて行ったのだった。