「………………!!」




 突然襲いかかった冷気に、アベルは身を振るわせる。

まるで、危険を知らせるかのようで、不安が横切る。




「一体、何が……、……まさか!」

「待たせたな、ナイトロード。さ、すぐに……」

「ペテロさん、先にホテルへ向かって下さい! 私、どうしてもいかないと行けないところが出来たので!!」




 “
聖騎士の聖衣(ガーヴ・オヴ・ロード)”を身に纏って参上したペテロを無視し、アベルはどこかへ向かって走り始めた。

それをペテロが追いかけようとしたのだが、服が重くてどんどん差が離れてしまう。



 気がつけば、背後にペテロの姿がなくなっていた。

だが、それは逆に好都合で、アベルは走りながら安堵のため息をつく。




(何としてでも、合流しなくては……)




 行く宛がないわけではない。

先ほどから、何かが自分を引っ張っているのを感じていたからだ。

それに導かれるまま、アベルはひたすら走り続けた。



 行きついた場所は、歌劇場からそんなに離れていない位置にある大聖堂だった。

その中ではなく、裏側へ行くように背中を押され、アベルはその勘に赴くままに進んだ。




『アベル・ナイトロード。私の声が聞こえますか?』




 突然鼓膜を打つ声に、アベルは気づき、足を止めそうになる。

しかし相手がそれを望んでいないだろうと察し、再び走る。




さんは……、さんはどこにいるんです!?」

『この先の森林地帯よ。周りはフェリーにお願いして迷彩シールドと透明化シールドを

張ってもらっているから、他の人には見えなくしているわ』




 声の主――“神のプログラム”TNL戦闘プログラムサーバ「ステイジア」が示す方向に、

アベルはすぐに向かって行く。

そして森林に入った瞬間、目の前に信じがたい光景が広がっていた。



 木々が燃え、周りには無数の野犬が倒れこんでいる。

いや、正確には野犬達は形をなくし、骨だけになっているものが多数いた。

異臭が周りを包み込み、思わず呼吸を止めたくなるぐらいだ。




「な、何なんだ、これは……!」




 目の前に広がる光景、アベルは言葉を失いそうになった。

このような事態に陥った原因は分かっていたが、ここまでの悪条件を目撃したのは初めてだった。




『こっちよ、アベル・ナイトロード』




 プログラム「ステイジア」の声と同時に、目の前に1つの光が現れ、前方に伸びて行く。

その線を追いかけながら、アベルは目的の場所まで向かって行った。



 倒れた木々と火粉を交わしながら、アベルは着実に目的地まで向かって行く。

視界が徐々に開けてきて、目の前で何かが動いているのを見つけると、

アベルはその方向へ向かって声をあげた。




さん!!」




 喉を引き裂くぐらいの声を張り上げても、相手は気づくことなく、手にしているものを振りまわしている。

軽く舌打ちをして、徐々に見えてくる姿へ向かって、再び声を張り上げる。




さん!!!」




 今度は気がついたのか、相手は振りまわす手を止め、声が聞こえた方を見つめた。

それに対し、アベルはホッとしたかのように顔を一瞬緩めたが、それが仇になった。



 相手が勢いよくアベルに近づき、手にしていた物を旋回してきたからだ。




「うおうっ!!」




 間一髪のところでそれを避け、後方へ統べるように下がる。

軽く右手を地面につけ、体勢を整えようとしたが、それよりも先に飛んできた気圧を素早くかわした。




さん、私です! 分からないのですか!?」




 自我を喪失するほどのことなど、めったに起こることではない。

だからアベルは、今の状況がどのような経緯で引き起こったのかを知る義務があった。




「ステイジアさん、一体、何があったのです!?」

『それは……、……危ない、アベル・ナイトロード!』




 プログラム「ステイジア」が答える前に、相手の攻撃の方が早かったらしく、

アベルは素早く身を翻し、それを避ける。

胸元にしまってある旧式回転拳銃に手を触れようとしたが、それを取り出すことが出来ない。




(駄目だ。さんに、これを撃つわけには……)




『フェリーに後で、治療させるわ』




 脳裏に横切った言葉に答えるかのように、再びプログラムの声が鼓膜を打つ。




『だから、何としてでも彼女を止めて。それが出来るのは、あなたしかいないのよ』

「……分かりました」




 強く目を瞑り、そして再び見開いた時、アベルの手には旧式回転拳銃がしっかりと握られていた。

銃口をしっかりと向け、引き金に手をかける。




「すみません、さん」




 それだけ言い、アベルは一気に6発もの弾丸を集中的に撃ち込み始めた。

まるで1発しか撃っていないかのように、銃声がほとんど1つに重なって聞こえるそれらは、

相手の右肩へ向かって突進して行った。




「ぐああああああああっ!!!」




 声を張り上げながら、手にしていた物を地面に落とし、その場にふらつき始める。

その隙を狙い、アベルが相手に向かって走り始めた。




さん!」




 声をかけ、ようやく開いてに近づくことが出来た。

しかしまだ我に返っていないようで、彼女の目は赤く光を放っている。




さん! 私の顔、見えますか! ……!」




 アベルの声はそこで止まった。

首に、鋭い痛みが走ったからだ。




「ぐっ!!」




 何かが勢いよく吸われ、相手の喉が動くのが見える。

そしてそれと同時に、彼女の周りを取り囲んでいた殺気が消え、静まって行く。



 肩の痛みが感じなくなり、ゆっくりとの顔を覗く。

目は元のアースカラーに戻り、そしてどこか意識を失ったかのように、ぐったりとしている。




「………………アベル………………?」




 うっすらと聞こえる声に、アベルはほっと、安堵のため息をつく。

そして彼女を強く抱きしめる。




「もしかして、私…………」

「何も言わなくていい」




 必死に思い出そうとするを、アベルは止め、落ちつかせるかのように髪を撫でる。




「もう何も、言わなくていい」




 本当なら真意を知りたいところなのだが、今はそれよりも、彼女に不安を与えない方が先だ。

アベルはそう判断し、を強く抱きしめた。



 彼女が暴走したのは、これが初めてのことではない。

しかし、ここまで酷く暴れたことは一度もなかった上、

普段はどちらかというとアベルの方が押さえられる側だったために、

処置の仕方をちゃんと把握していなかったからというのもあった。

 

 しばらくして、ようやく落ちついたのか、の両腕が自然とアベルの体に絡まり、強く抱きしめていた。

それに答えるように、アベルは彼女の髪に、そっと唇で振れた。




「……アイザックに……、アイザック・バトラーに、会ったの……」




 胸元で少し篭ってはいたが、聞き取りにくいわけでもなかったため、

アベルはそのまま、彼女の言葉に耳を傾けた。




「昔のことが、一気にフィールド・バックして、頭の中に渦巻いて……。怒りが一気に、込み上がってきて……」

「そうか……」




 そっと顔を見つめれば、頬にうっすら涙が流れている。

アベルは手袋を外し、その涙にそっと触れ、拭い落とした。




「……ごめん、……」




 突然謝られ、は驚いたように、アベルの顔を見つめる。




「すぐに気づいてあげられなくて、すまなかった」

「アベル……」




 暴走し続けたのは自分のせいだと、アベルは思ったのかもしれない。

勝手に怒り、勝手に暴走をしたのは自身なのに、アベルは自分のせいかのように責めている。




「……どうしてよ」




 ポツリと呟く言葉は、どこか疑いの念が篭っている。




「どうしてそうやって、自分のせいにしようとするの? 私が謝らないといけないのに、

どうしてアベルが謝らないと、いけないの……」




 言葉が途中で途切れ、頭を下げてしまう。再び流れる涙が止まらず、地面に落ちて行く。




「俺が責めたところで……、それで満足なのか?」




 どこか強く、そして怒りが篭ったような声に、ははっとして、再び彼の顔を見つめる。

その目はどこか、鋭く尖っていた。




「怒ってないと言ったら嘘になる。ここまで大きな事態になるのなら、すぐに呼んで欲しかった。

だが、そういうわけにもいかなかったから、悔しいんだ。それのどこが悪い?」

「アベル……」




 流れる涙を拭うように、アベルの唇が頬に触れる。

そして安心させるかのように、唇へそっと触れた。



 離れてはまた振れ、そして徐々に深くなる。

アベルの体に絡み付いている手が自然と強くなり、アベルも倒れそうになるをしっかりと支え、

自分の意思を伝えるかのように、深く、深く、入り込む。



 ゆっくりと唇が離れると、の口から吐息が漏れる。

瞼にそっと唇をあて、再び強く抱きしめたアベルの胸に、甘えるかのように身を委ねる。




「次のことがあるから、あまり長くは無理だが……」




 耳元で囁く声はとても温かく、そして優しかった。




「もう少しだけ、こうしている。だからそれまでに、ちゃんと落ちつけ」

「……うん……。……ありがとう、アベル。本当に……、ありがとう」






 時間がこのまま、止まればいいのに。

 そう思ってしまうほど、はここから、離れたくなくなりそうだった。











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