ダヌンツィオが死亡したという報告が入ったのは、慰霊式典の翌日のことだった。
ローマへの護送中に隠し持っていた毒を呷ったとされているが、
異端審問局の手によって処分されたとも言われていた。
は約束通り、慰霊式典より仕事復帰していたため、この日は久々に僧服を身に纏っていた。
今まで軽い服を着ていたせいか、僧服が重たく感じる。
そしてその背後には、あの“剣を施した銃”がぶらさがっていた。
「……今後、シスター・エステルの警護は手厚くせよとローマから通達を受けました。何しろ、
彼女は今や国際的な有名人ですもの。教皇聖下に対する警護を行う必要があるわ」
新聞に視線を落としたまま、カテリーナが独りごちるように呟く。
エステルの存在は、シェラザードを殺したという嘘の事実により、国際レベルにまで上り詰めたのだ。
「いずれはきちんと専属の護衛チームを作ることになるでしょう。だけど、当面、彼女の警護はあなたに任せます、
神父アベル……」
丁寧に新聞を折り畳み、それを机の上に置く。
アベルから微妙に視線を逸らしているカテリーナを、は見逃すわけがなかった。
「シスター・。あなたはシスター・エステルのスケジュール管理などの業務をお任せします。
祖国で経験済みでしょうから、やり方はあなたが決めてくれて構いません」
「了解したわ、カテリーナ」
祖国での実績が認められたことは有難いことだが、カテリーナとしてはやむを得ない策だったのかもしれない。
はそう思うと、彼女に気づかれないように、深くため息をつく。
「今後、彼女には教皇庁の顔としていろいろ動いてもらわなければなりません。忙しくなるとは思うけど、
彼女がトラブルに巻き込まれないように面倒を見てあげて下さい」
「分かった」
「……1つだけ伺ってもいいですか、カテリーナさん?」
今まで黙っていたアベルが、カテリーナの言葉を遮る。
静か過ぎるその声に、の心にその感情が伝わってくる。
「あの時、私はエステルさんの居場所が分かったら、すぐに教えてくださるようにお願いしたはずですよね?
だけど、エステルさんを確保するようカテリーナさんがトレス君達に命令した時、私にその話はなかった。
……どうしてですか? 忘れちゃったんですか?」
「……………………」
長すぎる沈黙が続き、時計の秒針の音だけが、静かに部屋に響き渡る。
には、カテリーナがアベルに言わなかった理由が分かっていた。
いや、正確にはそうじゃないかと予測していた。
そしてもし自分がイシュトヴァーンに着いた日にカテリーナの元へ向かったら、
間違いなく彼と同じように、ここで足止めを食らっていたことも予期していた。
そしてどこかで、カテリーナがエステルがいなくなってしまうことを望んでいたのではないかと、
そう、思っていたのだ。
「――エステル・ブランシェの居場所について情報が入ったのは、俺がホテルで卿と接触する直前だった」
沈黙を守るカテリーナの代わりに、トレスが質問に答える。
どうやら、連絡を入れる時間的余裕がなかった上、
カテリーナ自身にもその報告をしていなかったらしい。
「トレス君の言った通りなんですね? あの時はただ連絡がうまくいかなかっただけで、
別にエステルさんを見捨てようとしたんじゃないんですよね?」
「…………ええ、神父トレスの言う通りよ。あの時点では、私は神父トレス達からの報告を
受けていませんでした」
「そうですか……」
いつもと変わらないカテリーナの声に、アベルもほっと頷き、
こちらも変わらない表情を向けていた。
しかしその奥に、何か硬い氷塊みたいなものがあるののに、は見逃さなかった。
「よし、じゃあ、私はエステルさんのところへ行って来ますね。マスコミ連中が妙な騒動を起こす前に、
ついていてあげないといけませんからね」
「……そうね。私も、今後の予定を整理しないと。しばらくは忙しくなりそうね」
「これからも、よろしくお願いしますね、さん」
「あら、アベル、知ってて? マスコミ関係者って、秘書的立場の人間も襲われることがあるのよ。
私の護衛もお願いしてもらわなくちゃ」
「さんに、護衛は必要ないんじゃ……」
「何かおっしゃいましたか、ナイトロード神父?」
「い、いえいえ、何も言ってませんよ、何も!!」
いつもと変わらない会話をしているように見えるが、
にとって、それは相手の様子を伺う意味もあった。
だが、周りに人がいる状況でそれを探るのは、どうやら不可能だったらしい。
「それじゃ私、エステルさんのところへ行きますね。ええっと、確か今の時間なら、彼女は――」
「……あ、あの、アベル?」
「ん、何です? どうかしましたか?」
「あ、いえ、何でもないわ……。そう、何でもないの。……その、ごめんなさい。気をつけて行きなさい」
「……ありがとう、カテリーナさん」
普段通りののどかさに、カテリーナが声を殺して呼びとめたのはいいが、
言葉を用意していなかったらしく、不自然に黙ってしまった。
だが、アベルはすぐにいつも通りの笑顔で軽く会釈すると、身を縮めるようにして部屋を後にした。
「……相変わらず、アベルは隠すのが下手だわ」
扉の奥へと消えたアベルを、はため息をつきながら見送ると、視線をカテリーナの方へ向けた。
彼女はまだ、扉の方へ視線を向けたままだった。
「……1つ、忠告してもいいかしら、カテリーナ?」
の声に、ようやくカテリーナが反応する。
慌てたように彼女へ視線を動かせば、その表情に目を大きくした。
まるで別人と思わせるような、鋭く、尖った目が、カテリーナの顔をしっかりと捉え、離さないでいる。
かつて、こんな表情をしたことがあったであろうかと、思わず疑問を投げかけたくなるぐらいだ。
「あなたがエステルを確保するのに、生死を問わないと言った。そして私は、その発言を一生許さない」
同僚の命を奪ってまで連れ戻そうとしたカテリーナの判断に、は今も納得していなかった。
それはエステルが同僚だからではない。
もっとそれ以外の、何らかの理由があるからだ。
そしてその理由は、の中でまだ見つかっていない。
「今後、エステルだけでなく、同僚の誰かに対して死を勧告するような発言をした場合、私はアベルが
反対してでも、Axを脱退する。それが嫌なら、私が納得いくような理由を言うことね」
それだけ言って、はカテリーナへ背中を向けた。
扉に向かって歩き出し、ゆっくりと開くと、その奥へと姿を消した。
「……また随分と、剣幕な顔ですね」
横から聞こえた声に、は視線を動かすことはなかった。
そして1つ、大きくため息をついた。
「久々に見ましたよ。出来れば、あまり見たくありませんでしたけど」
「私だって、こんなことするつもりなんてなかったわ」
ゆっくり歩き始めると、それについてくるかのように、アベルが後を追う。
そして背後で揺れる“剣を施した銃”に視線を向けた。
「これから、ずっとこれを使うんですか?」
「まさか。これは緊急事態用。新しい短機関銃を作ってもらってるところよ」
「そうなんですね……」
「……何、使って欲しいの?」
「いいえ。……一瞬、さんが元に戻ったのは、これのせいなのかなと思ってしまっただけです」
アベルの発言に、の足が思わず止まった。そして、昔の記憶が、頭の中を横切った。
あの頃のは、確かに先ほどのカテリーナへ対する視線と同じような目をしていた。
「物」扱いされ、利用されたことで、「人間」を信じることをやめてしまった、
あの時の自分に。
「……私は今でも、『人間』を信じていないのかもしれない」
「そんなことありません。さんは、ちゃんと……」
「そうじゃなかったら、あんな表情なんて、してないわよ」
ぽつりと呟いた声が、アベルの耳に届かなかったわけがなかった。
だからその言葉に答え、誰もいないことを確かめた上で、彼女を後ろからそっと包み込んだ。
「さんは、昔と変わりました。『人間』を、ちゃんと守ろうとしているじゃないですか」
「それは、あなたがそれを望んでいるからで……」
「たとえ『繋がっている』からと言っても、考え方まで全く同じだということはあり得ません。これは、
あなたの意思でやっていることなんです。私1人のせいじゃないですよ」
アベルの優しい声が、の鼓膜に響き渡る。
温かくて、思わずそれに甘えたくなりそうになるが、それを必死になって押さえ込む。
「私は……、私は、あなたの“フローリスト”よ」
どこか、決心したような声で、は無理やりアベルの腕を解き、彼の顔を見つめる。
「あなたの想いは、私の想い。あなたの願いは、私の願いなの。だから……、……だから私は、
あなたが『人間』を護ると望むのであれば、それに答えるだけよ」
彼に背中を向け、長い廊下を歩いていく。
そのの背中がどことなく淋しそうに見えるのは気のせいだろうか。
「……本当、お前は素直じゃないな、」
アベルの声が、静かに廊下へ響き渡った時には、の姿は外へと消えていたのだった。
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