旧マーチャーシュ教会に隣接された墓地を離れたエステルが、目を大きく見開いている。

それもそのはず。

先ほどまで僧服を身につけていたはずのが、いつの間にか尼僧服に着替えていたからだ。




さん、これはどういう……」

「これから、あなたのスケジュール管理をすることになったの。――秘書みたいなものかしらね。

だから、仕方なくだけど、こうして尼僧服を着ているわけ」

「そう、だったんですね」

「イシュトヴァーンにいる間の護衛は、アベルにお願いしてもらうことになってるから、そのつもりで」

「よろしくお願いしますね、エステルさん」




 横で腰を低くして立つアベルに、は呆れたかのようにため息をつく。

これで本当に、彼女の護衛が勤まるのだろうか。

いささかな不安もあったが、もし彼がヘマをしたら、

自分が表に出ればいいことなので、あまり気にしないことにした。




「さて、これから忙しいわよ。早速で申し訳ないんだけど、この後、雑誌出版者を対象にした取材が入っていて、

その後、休憩を入れた後に、“イシュトヴァーンの聖女”の祝賀パーティーが予定されているわ」

「もう、そんなに予定されてるんですか!? エステルさん、昨日の今日でお疲れなんです。

少し、お休みを差し上げた方がよいのでは……」

「そう言いたいのは山々だけど、周りは待ってくれないの。だから――」

「あたしは大丈夫です。――覚悟、決めてますから」




 エステルが言う「覚悟」とは、どれぐらいなものなのかは分からない。

実際、エステルも、自分がどこまで「覚悟」を決めているのか分からなかった。

だが、今の自分は、聖女としてやらなくてはならないことがある。

どうしても、やり遂げなくてはならないことがある。

そのためにも、足を止めるわけにはいかない。




「ですから、さん、あたしのことは気にせず、予定を進めて下さい」




 何かを決意したかのように、輝く瞳に、は一瞬戸惑い、そして小さくため息をつく。

その姿は、まるでエステルの考えていることをすべて把握しているようにも見える。




「――取材まで、あと1時間あるわ。その間に、この辺りを軽く散歩でもしてきなさい」

「え?」

「最初からそんなに力が入っていたら、あとから疲れて倒れてしまうわ。1人にするわけにはいかないけど、

アベルだったら、そんなに気にならないでしょう?」




 の声はとても優しく、寒さを忘れさせるぐらい温かなものだった。

だからだろうか。

エステルもどこか、顔の緊張がほぐれたかのように緩んでいる。




「……すみません、さん」

「謝ることじゃないわ。誰だって、みんな、同じだから」

「そうですよ、エステルさん。倒れてしまったら、それこそ大変ですからね。大丈夫です。

周りに変な人達が現れたら、私がこてんぱに倒しますから」

「先に倒されないことね」

「そんな、さん、私はそんなに弱くないですよ〜」




 に業とらしく睨まれ、それに落ちこむアベルの姿を見て、

エステルが思わず噴き出すかのように笑い始める。

そんなエステルに、アベルが意味が分からないかのように焦ると、

もそんなアベルの姿を見て笑った。



 よく考えてみれば、こうして笑うのも久しぶりだった。

緊張していたのはエステルだけでなく、自分も同じだったことに、

は心の中で実感していた。




「それでは、お言葉に甘えて、この辺りを歩いてきます」

「いっていらっしゃい。アベル、ちゃんと護衛するのよ」

「分かってますって、さん! 信じてくださいよ〜!!」




 アベルの叫び声を聞きながら、は微笑み、2人に向かって手を振った。

そして、1つため息をついた後、視線を旧マーチャーシュ教会跡の方へ向けた。



 1度目に訪れた時、この教会にいた幼いエステルに出会った。

2度目に訪れた時、そのエステルがバルチサンというメンバーのリーダーになり、この国を救おうとした。

そして3度目に訪れた今、ここには教会はなくなり、小さな墓地だけが残されていた。



 エステルとの出会い。

にとって、人との出会いなど深く考えたことなどなかったが、

エステルのことだけが、喉に引っかかって取れなかった。

何度も脳裏を横切る映像に、頭を抱えたくなる。




(あの声は、誰だったのか……)




 先日、大司教館の地下で鳴り響いた声と映像を思い出そうとする。

だが、該当する人物の名前が浮かんでこなく、再び頭を抱えてしまう。



 その場の雰囲気からして、場所はローマではないだろう。

広間に置かれている椅子に、何かを抱えて腰掛けている人物がいた。

だが、その人物が誰で、何を抱えていたのかまでが浮かんで来ない。




(……やめよう。きっと、じきに思い出すだろうし)




 頭を左右に振り、は足を大司教館の方へ向けて歩き始めた。

しかし、少し歩いて、また足を止めた。



 そして、何かを誓うかのように、旧マーチャーシュ教会跡に視線を向けた。






(ヴィテーズ司教、エステルは私が……、必ず私が、お護りします)。











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