翌朝、横で眠るの顔を、アベルは少し安心したように見つめていた。



 よほど我慢していたのだろうか。涙の跡が目尻に残っていて、少しだけ赤く腫れていた。

それをそっと指で拭うと、の体が少し動き、アベルにしがみつくかのように近づいた。

そんなにそっと微笑んだ後、の額にそっと唇を落とし、

上半身を起こし、ベッドヘッドに凭れるようにして座った。



 のスケジュールがどうなっているのか分からないが、今はこのまま寝かせてあげよう。

日頃の疲れもあるはずだ。

 ゆっくり休ませてあげたかった。




「本当、俺とお前は、よく似ている」




 ポツリと呟き、軽くため息をつく。

 これもはやり、「繋がって」いるからなのだろうか。

いや、そんなことなど関係なく、2人とも同じような性格をしているのかもしれない。




 近くにある水差しに入っている水を、伏せてあるグラスに注ぎ、口に運ぶ。

乾いた喉を潤して、グラスを元の場所に戻すと、そっとの髪の撫で始める。



 昔は肩ぐらいしかなかったはずなのに、

今は驚くぐらい、の髪は長く、そして光り輝いていた。

そしてそれがまたよく似合っていた。

一瞬、ほどではないが、自分も髪が長いから、

彼女も一緒になって伸ばしているのではないかと思ってしまうほどだ。




「お前は……、俺のこと、どう思っているんだろうな」




 周りから見れば、2人は恋人同士に見えるであろう。

しかし当の本人達は、決してそんな風に感じていなかった。

こうして体を重ねても、それはお互いが「繋がって」いて、離れているのが耐えられないからだ。



 どちらかが不安になれば、反射的に相手も不安になり、いても立ってもいられなくなる。

だからこうして助け、支え合う。それはまるで「恋人同士」のように見えるかもしれないが、

どこか違うようにも思えた。




「俺の気持ちなど、きっと分からないんだろうな……」

『本当にそう思うか、アベル・ナイトロードよ』




 突然の声に、アベルはの髪を撫でる手を止めた。

辺りを見まわし、声が聞こえた方向を探ろうとする。

しかし、その姿はどこにもなかった。




『探しても無駄だ。今の私はまだ「不完全」で、の意思なしで表に姿を見せることは出来ない。

――ああ、彼女から離れる必要はない。せっかく安心しているんだ。今回だけは見逃そう』




 その言葉に安心しつつも、どこから見られているのか分からず、

アベルは慌ててから離れようとしたが、相手がそれを止めた。

の安堵の表情を崩したくなかったのであろう。




「いつから、こちらに?」

『正確には、ここ1週間ばかり前からだが、ちゃんと表に出たのは今日が初めてだ。

はどこまで把握しているのか、分からないがな』

「だいたいのことは分かっている。……俺自身も、それは感じ取っていた」




 いつも以上に、との「繋がり」を感じたかったと思うこの感覚には、

何らかの理由が存在しているはずだと、アベルはどこかで疑っていた。

その原因が、の中に存在する「者達」の活動を再開させようとしているからとなれば、

すぐに納得がいく。




の心が、異常なまでに不安定な状態になっているのも一理あるからな」

『さすが、「クルースニク02」。の「片割れ」なだけのことはある』

「あまり嬉しくない誉め言葉だな」




 少々呆れながらも、相手の言葉に反論するつもりはないらしく、再びの髪にそっと触れた。

安堵したその表情に、思わず顔が綻びそうになるが、

「他人」――しかも、の身内が近くにいるとなると、それを押さえこまなくてはならない。




『……はただ、分からないだけなのだ、アベル・ナイトロード』




 まるで、全てを見とおしているかのように、姿の見えない相手が話し始める。




『彼女は人を愛することを、よく知らない。だから、自分が本当に相手のことを好きなのか、

愛しているのかというのが、分かっていないだけだ』

「だと、いいんだがな」

『何、自信がないのか?』

「そういうわけじゃないが……」




 「繋がり」があるから、2人は自然と結ばれ、離れられない関係へとなっていく。

だが、それだけのことで、愛があるかどうかと問われたら、きっと首を傾げるであろう。

どんなに愛の言葉を贈っても、相手にどれだけ伝わっているのかなど、

アベルには理解しがたい部分があった。




『私は彼女が君の“フローリスト”になった時点で、君に恋心を抱いているとすぐに分かった。

そうでなかったら、君と共に生きようとは思わなかったはずだ』




 あの時のには、アベル以上に大事にしている人がいた。

しかし、彼女はアベルを選んだ。

それは彼女が、一番信頼していた人物が望んだことであったとしても、

それに反対することも出来たはずだ。

なのに、はそれをしなかった。



 それはアベルに、少なからず何らかの感情を抱いていたとしか、考えられない。




『だから、もう少し待っていて欲しい。きっと、気づく時が来るはずだ』

「…………ああ…………、……そうだな」




 何かを納得したかのように、頷いた時、の顔がかすかに動いた。

それと同時に、声の主もゆっくりと消えたように、

その場の空気がすっと変わるような感覚になった。




「ん……、……アベル……?」

「おはようございます、さん」

「おはよう……。……誰か、いたの?」

「いいえ、誰も。いたら私、すぐに着替えてますよ」




 目を擦りながらも、甘えるかのようにアベルの腰に腕を回す。

まだ少し寝たいようだ。




「我慢して起きなくてもいいんですよ、さん。私は報告が済んでますし、

今日1日はゆっくり休む予定でしたから」

「私は午後から、エステルの取材に同行しないといけないから、それまでに、

アルビオン訪問のスケジュールをまとめないと……」

「アルビオン訪問? さん、エステルさんと一緒に、アルビオンへ行くんですか?」

「ええ、3日後に。……どうして?」

「私も明日から、“教授”と一緒にロンディニウムに行くんです。勿論、任務で」

「そうなの? それはまた、寄寓ね……」




 アベルに甘えるような顔をするの髪を、再びそっと撫で下ろす。

それが嬉しいのか、はさらにアベルに甘える。




さん、甘えすぎてませんか?」

「やっぱり、そう思う?」

「嫌でもそう思わざるを得ないでしょう」




 呆れたようにため息を突くアベルに、はようやく彼の腰に絡めた腕を外し、上半身を起こす。

水が入ったグラスを受け取り、それを口に運ぶと、ホッとしたように1つ息を漏らす。




「どうやら、思ってた以上に疲れが溜まっていたみたい」

「そのようですね。すごくぐっすり眠ってましたから、起こしたくても起こせませんでしたよ」

「起こしたら起こしたで、自分に危害が及ぶから?」

「ええ、さんの低血圧に振れたら、拳どころかどっ突きが……って、そうじゃありませんって!!」




 焦るアベルに、は満足したように笑い、そして再び水を喉に通す。

そしてスーツを手繰り寄せ、それを体に巻きつけると、

備え付けのバスルームへ向かって歩き始めた。




「アベル、今日1日何もないなら、私の仕事を手伝ってくれる?」

「手伝うって、何をですか?」

「ボルジア枢機卿への御用聞き。毎回ケイトに頼むのは申し訳ないからね」

「だ、誰が好きでアントニオさんのところになんて……!」

「お茶の時間に、あなたの好きなガトーショコラを用意しておくから」

「はーい! 喜んでやらせていただきますー! わ〜い、さんお手製のガトーショコラ〜♪」




 喜ぶアベルの顔を見ながら、は満足げに笑みを溢し、そのままバスルームへと姿を消した。

シーツを外し、シャワールームへ入ると、シャワーの蛇口を捻る。

頭上からたくさんのお湯を体に浴びながら、ふと、体に何かを感じる。



 昨夜、アベルはずっとを抱きしめてくれた。

何度も唇を重ね、体中にその跡を残し、慰めるように髪を撫でてくれた。

その温もりが、しっかりと体に染みついていたのだ。



 シャワーを浴びることで、この温もりがなくなってしまうのではないか。

は一瞬、不安を覚え、シャワーを止めようとした。

しかし、今までそんなことを思ったことなどないのに、

どうして今日に限って、こんなに恋しくなるのだろうと疑問に思い、蛇口に向けた手を引っ込めた。




(どうしたんだろう、私。いつもと違う……)




 どこかで不安を感じながら、シャワーに打たれる。

この感覚は、この想いは、一体どこからやって来るのだろうか。

答えがなかなか、見つからない。



 さっきまで感じていた温もりが、無償に、恋しい。




「アベル……」






 バスルームに消えたの姿を目で追いながら、

アベルはベッドから立ち上がり、落ちていたシャツを掴む。

それを裾に通すと、ふと両手を見つめた。



 昨夜、をしっかりと抱きしめていた温もりが、まるで染みついているかのように残っている。

先ほどまで、ずっと一緒にいたのに、それが無償に恋しくなり、

今すぐにでも抱きしめたい衝動にかられてしまう。

こんなこと、今までになかった感覚だった。




……」



 2つの心がゆっくりと近づいていくことに、2人はまだ気づいていなかった。











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