の車――黒のロータスが、緑に溢れたミラノの街を爽快に走っている。
まだ1月ということもあり、外は寒さのためか、少し霧がかかっていた。
「しかし、まぁ、お前もすごい車に乗っているな」
「スフォルツァ猊下が、普段の移動用にと言って譲って下さったものなの。
ミラノでは車移動の方が多いから、ものすごく重宝しているわ」
「ミラノ公の護衛ってのも大変ってことか」
「その分、楽しいこともあるからいいのよ」
前ミラノ公であるジョヴァンニ・スフォルツァの時からカテリーナ直属の護衛をしているにとって、
この14年間は怒涛な日々だった。
特に11年前、再びの前に銀髪の青年――アベルが姿を現した時には、
今までにないぐらい涙を流して喜んだ覚えがある。
それから後、アベルとカテリーナと共にローマ大学で神学を学んでシスターになり、
ケイト、“教授”、ヴァーツラフと共にAxを発足し、今日にいたっている。
「それより、アベルと一緒には来なかったの?」
「ああ。ほら、あいつ、貧乏だろ? 飛行艇に乗るほど金がなくて断念したらしいぜ」
「確かに、猊下が彼にお渡しになったのは列車のチケットだったしね。ま、のんびり来なさいってことだったのかもしれないわね」
話している間にも、車は目的地である聖アンブロシウス総合病院の前で到着した。
レオンが慌てて外に出ると、トランクを開け、中に入っている紙袋を一気に抱えようとして手を伸ばした。
「……ちょっと待って、レオン」
「んあ?」
急に呼び止められ、レオンが紙袋を掴んだ手を止めると、の手が肩に翳された。
掌から白いオーラが溢れ出し、肩に向かって注ぎ込まれる。
……何かを治療しているようだ。
「どうして気づいたんだ、こいつのこと?」
「何かさっきから、変に庇っているように見えてね。昨夜の一軒で、怪我でもしたんじゃないかって思ったのよ。
中に銃弾か何か入っている?」
「それはとりあえず抜いてもらった」
「なら、大丈夫ね」
無事に怪我が治ったのか、オーラがゆっくりと消えていき、肩からそっと手を離す。
腕を振り回し、怪我が治ったことを確信したレオンが、
お礼を言うかのようにの頭をクシャクシャッとするように撫でた。
「もう、せっかくきれいに縛ったのに、台無しにする気?」
「大丈夫だって、そんなに崩れてねえよ。……よっこらせっと」
「1人で大丈夫?」
「これぐらい、ちょろいもんよ。……なぁ、。よかったら、俺とついて来てくれないか?
何かこう……、変に恥ずかしくなってきちまってさ」
「何言っているのよ、レオン。こんな大きな図体して、変なときにノミの心臓になるんだから」
「悪かったなぁ、ノミの心臓で!」
「はいはい、そう言っている暇があったら、早くファナちゃんのところへ行きなさい。きっと彼女、
パパが来るのを楽しみ待っているわよ」
「お、おう……」
何だか妙に照れ臭そうな顔をするレオンを見て、思わず笑ってしまいそうになったが、
ここはとりあえず、彼の背中を押すかのように、思いっきり背中を叩くことにした。
「モタモタしないで、とっとと行きなさい、この史上最強親馬鹿神父!!」
「ウヲッ!! ……お前、痛えよ!」
「だったら、早く行きなさいって。ほらっ!」
「わあったわあった、行ってやるよ! ……」
「ん?」
「……ありがとな」
「お礼を言う暇があったら、1秒でも早くファナちゃんに会うことを考えなさい」
「ああ……、そうだな」
ようやくレオンの顔から緊張の色が取れ、に背を向けて病院の中へ入っていく。
その姿をしばらく見てから、トランクを閉め、その上に寄りかかるようにして座った。
「……ファナちゃん、幸せ者だなぁ……」
口から漏れた言葉に、は少し苦笑したような顔をする。
そして脳裏に、封印していたと思われる光景が一斉に映し出された。
白い壁が赤く染まる。
何かを予言していたのか、口を動かしているが、言葉になることはない。
そのまま頭と体が離れていき、物音を立てて倒れ込み……。
「……ごめんなさい……」
知らない間に浮かんで来た涙が、何のためらいもなく地面に落ちて、うっすらと跡を残していく。
「助けられなくて、ごめんなさい……」
どうして助けることが出来なかったのだろうか。
どうして救うことが出来なかったのだろうか。
の脳裏にはあの時同様、後悔の嵐が襲い掛かっていた。
「本当に、ごめんなさい……」
の涙は止まることなく、ひたすら流れ続けているだけだった。
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アベルが到着したのは、午後1時を少し過ぎた時だった。
両手に持っている鞄の量を見ながら、が半ば呆れたように彼に呟いた。
「一体、そんなに何持ってきたのよ?」
「メイドさん達に、いろいろお土産を持ってきたんです。ほら、以前さんから頂いた紅茶の葉とか、
少しお裾分けしようと思いまして」
「私があげたのって……、まさかウィッタードのオリジナル・ブレンド!?」
「ええ。私1人じゃ飲み終えそうもないので、お土産として持ってきたんです」
特に何も問題なさそうに微笑んでいるアベルの顔を、は目を剥き出し状態で見つめてしまった。
あの紅茶は以前、アベルが好んで飲んでいたものだから、
ロンディニウムでの任務のついでに購入して、彼にプレゼントしたものだ。
それを量が多いからという理由で、メイド達に分けようとしているのだ。
相変わらずこの銀髪の神父のやることなすことには驚かされることばかりで、呆れることを忘れそうになってしまう。
「で、今からすぐにカテリーナのところに行く? それとも、どこかに寄って行く?」
「久しぶりのミラノですから、ちょっとドライブなんてしてみたいなぁって思うのですが、いいですか?」
「全然問題なし。じゃ、車まで行きましょう。荷物、持たなくて平気?」
「女性に荷物持たせるなんて、男として恥ですよ」
今朝、あんなに冷たい態度を取ったのにも関わらず、この銀髪の神父はいつもと変わらない態度で接している。
嬉しいには嬉しいのだが、その反面、締め付けられる想いになってしまう。
車に到着すると、はすぐにトランクを開け、アベルがそこに2つの旅行鞄を置いて閉める。
鍵を取り出し、運転席側へ行こうとした時、アベルに突然呼び止められて足を止めた。
「さんは助手席に座って下さい。私が運転しますから」
「え、でもこれ、ちょっと癖があるわよ」
「それぐらい大丈夫です。私だって、全然車に乗っていないわけではありませんし」
「そうだけど……」
ローマにある自動二輪車と同じく、ミラノで使っているこの車もかなり改造されているため、
彼女以外の人には運転しにくい構造になっている。
それでもまだ物足りず、次回戻った時にはギア部分を改造しようとしているあたり、かなり重症な改造マニアだ。
それを承知の上で運転したいことを主張するかのように、アベルはの前に手を差し出した。
「さ、鍵を渡して下さい。さんのことですから、そう複雑には改造していないでしょうし」
「……それ、本気で言っているの、アベル?」
「ええ、もちろん」
「……じゃ、お願いしようかしら。途中で投げ出すのは禁止よ」
「分かっていますよ」
断念したようにアベルへ鍵を渡すと、嬉しそうな顔で運転席に乗り込んでいく。
その姿を見ながら、は1つため息をついて助手席に座り、シートベルトをしっかり締めた。
「ほほお、なかなかやりますねえ、さん。このハンドルなんて、さわり心地バッチリじゃないですか」
「木製のしっかりしたのに変えたからね。肌触りといい握り心地といい、何とも言えないのよ」
ハンドルを誉められ、つい語りそうになったのだが、
細かいことを言っても理解するのは遠い話だと思い、ここで止めることにした。
相手がレオンだったら、また話は別なのだが……。
エンジンがかかり、軽くふかす音がする。普段馴染みのある音でも、何だか違う風に聞こえるのは、
車が主人と違うことを把握しているからだろうか。
「それじゃ、どこに行きますか?」
「そうねえ……、……とりあえずドゥオーモを通って、プッブリチ公園とセンビオーネ公園を回って、
スフォルツァ城っていうコースにしましょう」
「分かりました。それじゃ、出発しますね」
サイドブレーキを解除し、アクセルを踏み込むと、ゆっくりと駐車場を出て行き、一般道を走り始める。
思った以上にスムーズに動いたため、は驚いたように運転席にいるアベルの方を見た。
彼はいつもと変わらない呑気な表情を浮かべ、運転を楽しんでいるように見えた。
ドゥオーモ広場には1月の寒さと平日ということもあり、そんなに人は溜まっていなかった。
後ろに聳え立つドゥオーモの聖堂へ続く5枚の扉はブロンズ製で出来ていて、左から順に「ミラノ勅命」、
ミラノの守護聖人「聖アンブロージョの生涯」、「聖母マリアの生涯」、「ミラノの中世の歴史」、
「ドゥオーモの歴史」が描かれているのを、この地に降り立ったばかりの頃に、カテリーナに案内されて見たことがあった。
アベルの運転がこんなに居心地いいとは。
がそう気づき始めたのは、ドゥオーモを通り過ぎて数メートル進んだころだった。
眠気が襲い掛かりそうになったが、ここで眠ってしまったら、横で運転している相手に対して失礼だ。
そうとは言いつつ、瞼が下に落ちそうになってしまい、必死になってそれを持ち上げようとする。
(駄目だ、もう限界……)
昨夜の疲れが残っているのだろう。
は再び目を閉じ、寝息を立てて眠り始めた。
あまりにも居心地がいいのか、何の苦もなく、深く、深く入っていく。
信号機で止まると、アベルは横で力が抜けたように眠っているの寝顔を見て、満足げに微笑んだ。
どうやら、これが狙いで運転していたらしい。
後部座席には、寒さ対策の膝掛け用のストールが置かれている。
任務でロンディニウムに行った時に購入したものであろうそれを取り、の前にそっとかけ、頬に唇を落とした。
「ゆっくり休んで下さいね、さん」
夢の中にいるであろうに、アベルは笑顔を送り、再びアクセルを踏み込んだのだった。
ミラノでは車を使う。
車種はとりあえず、ロータスで落ち着きました。
(本当はフェラーリにしたかったけど、騒音がすごいので却下/爆)
アベルが運転が上手かどうかは分かりませんが、とりあえずここでは上手なことにしています(笑)。
そうじゃなかったら、こんなぐっすり眠れません。
場所は、先日購入した「地球の歩き方」にて載っている実際の地名をそのまま抜粋しました。
ちょっとした旅行ガイドになったのでしょうか……(笑)。
(ブラウザバック推奨)