「ユーグが剥奪された?」
<ええ。なので今、トレスさんもローマに戻っている最中なんです>


 イヤーカフスから聞こえる声に、は窓から覗かせる風景を見ながら、疑問の声を投げかけた。

 サンツ駅が崩壊され、ローマ直行便がなくなってしまったため、はバロセロナ市外にある国際空港からローマへ戻ることにした。
 タイミングよくキャンセルが出たため、予定よりも早く着きそうだ。


「いくら人が足らないからって、剥奪まですることあるの?」
<私もそう思いましたが、今回の事件はカテリーナ様が別途で手を打つ予定になっているので、何らかの考えがあってだと思います>
「だと、いいんだけど……」


 ユーグが“四伯爵(カウント・フォー)”を追いかけ始め、3ヶ月が立とうとしている。
 彼はすでに、アムステルダム伯カレル・ファン・デルヴェルフと、アントワープ伯ハンス・メルリンクを殺している。
 次の標的がブリュッセル伯ティエリー・ダルザスだとしたら、彼は必ずここに現れるだろう。
 そう推測して、ミラノ滞在中にトレスにブリュッセル行きを決断させたのは、今ケイトと話している本人だ。
 まさか、こんな結果になろうとは……。


「ま、スフォルツァ猊下のことだから、何か考えていることを願って……。
……ローマの方は、枢機卿会議をやっている最中だってカーヤから聞いたけど、どうなの?」
<今のところ、まだ結果が出ていません。たぶん、さんがこちらに戻った時には出るとは思うのですが……。
報告書のこともあるので、アルフォンソ大司教がお見えになる当日は、都市警と特務警察から警戒が入るそうです>
「メディチ猊下がやりそうなことね。全く、あの方も、昔から変わってないのだから」


 教理聖省長官であるフランチェスコ・ディ・メディチ枢機卿とは、昔、前聖下に仕えてた時からの顔見知りだった。
 当時から傲慢の性格だったが、それが今でも継続中なところがたまに傷だ。
 決して嫌な人でははないのだが……。


<ああ、さん。アルフォンソ大司教からケルンより報告があって、教皇庁に送られた新しい鐘の終?式に、
さんも参加して欲しいとの報告がありました>
「大司教が? 私を?」
<ええ。あと、もし良かったら、護衛の時の制服でという申し出がありましたが、どうなさいます?>
「制服ならまだあるからいいけど、あれ、着るのが面倒なのよね。ネクタイ締めなきゃいけないし、無駄にボタンとかが多いし」
<私も、先ほど写真を拝見させていただきましたが、あれはかなり厄介な構造になってますわね>
「本当よ、全く。すぐにでもデザイナーを恨みたくなったわよ」


 が少し呆れたように言うと、イヤーカフスからかすかにケイトの笑い声が聞こえた。
 それだけ着るのが大変でも、動きやすかったという利点があるため、ものすごく嫌いというわけではないのだが。


「とりあえず、参加させてもらうようにスフォルツァ猊下に伝えて。アルフォンソ大司教には、私も昔、常日頃お世話になっていた方だし」


 前聖下であるグレゴリオ30世に仕えていた時、何度かアルフォンソ大司教に対面したことがあり、いろんなことを教わった時があった。
 もう、かなり前の話にはなるが、あの頃は気立てのいい、優しい方だった。
 ……彼の考え方までは、慕っていなかったのだが。


(ま、昔のことを考えても仕方ないわ)


 は心の中でそう思い、ケイトにローマに到着する時間を告げると、イヤーカフスを弾いて止めた。

 目の前の紅茶を一口飲み、いろいろなことを頭に巡らせた。ヴェネツィアの可動堰事件、バルセロナ全市壊滅事件、そして今回のローマへの襲撃予告。
“騎士団”の考えていることは、テロ行為だと言われているが、実際はどうなのかと考えてみる。
いや、考えざるを得ない状態に陥っている。

 単なるテロなら、ここまで考えることはない。手段はいくつだってある。
 相手の逆転を狙えば、それで何とかなるものだ。

 しかし、あのケンプファーという男に会って、事態が一変した。
これは、ただ単に相手を仕留めるだけにはいかなさそうだ。
第一、相手には「あの男」がいる。


(今、「彼」の前に出ることは出来ない。出てしまえば、「彼」はすぐに……)
「お客様、紅茶のお替りはいかがですか?」


 心の中で、何か言おうとした時、客室業務員が彼女に声をかけたため、言葉が途中で途切れてしまった。

「あ、はい。頂きます」

 相手は紅茶を淹れると、一礼して、その場を離れて行く。

 淹れた紅茶に、珍しくミルクを垂らし、ほんの少しの甘味を加えて、口に運ぶ。
 今は少しでもリラックスして、すぐにでも動ける状態にしなくてはいけない。
 ローマに戻ったら、またいろいろゴタゴタしたことが続く。
 今のうちに休んでおかなくては、体力が持たない。


 ミルクティーを飲み終え、そのままゆっくり目を閉じる。
 ローマに到着するまで、彼女は眠りの世界へ留まることにしたのだった。




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「休暇中なのに、大変な事件に巻き込んでしまって、ごめんなさい。その上、“ジプシークイーン”が来るまで、任務までさせてしまって」


 ローマに戻るなり、すぐ執務室を訪れると、執務卓にいるカテリーナが申し訳なさそうに謝っている。
 声は少し嗄れていて、毎日の会議のことがあってか、彼女は一睡もしていない。
 それなのに謝られては、こちらとしても何もいうことが出来ない。


「そんな、謝らないで下さい。私は、大丈夫ですから」


 近くにケイトがいることもあり、つい言葉が畏まってしまう。
 普段だったらもっと、柔らかくして言えるのにと、思わずそう考えてしまう。

 ケイトは10年前から一緒にいる仲間だった。
 しかし、カテリーナが枢機卿になり、とケイトが彼女の部下にあたる存在になってからは、お互いに昔のように呼ぶのを止めていた。
 ケイトは昔から慣れているからまだしも、にはそれがたまに堪える時があった。


「バルセロナの件、先ほどケイトから聞きました。この結果、私には納得いきません」
「でも、枢機卿会議ではそう結論が出たわ。それが教皇庁の公式見解です。……馬鹿な年寄りどもが! あいつらは何も分かっちゃいない!」


 執務卓に激しく拳を振り降ろす姿は、長年彼女のそばにいたでさえも驚かされる行動だった。
 それほど彼女は、“騎士団”のことを恨んでいた。


「“騎士団”は信じられないほど狡賢い。いつも舞台で踊っているのはただの操り人形だ。人形使いどもは絶対に表に現れない。
……しかも、観客はあの馬鹿どもときた! 10年前と同じだ!」
<猊下……>


 カテリーナの言葉に、は10年前のことを思い出していた。

 あの時、幼いカテリーナと一緒に、相手から逃れるように走り回っていた。
 “あの姿”になることを拒み続けていた彼女にとって、それはまさに試練だった。
 切り抜けられない抜け道を、どうやって切り抜けるかで、頭を模索していた。

 そして見えたのは……、昔、自分が信じて止まなかった人物だったのだ。


「シスター・ケイト」
<あ、は、はい!>
「バロセロナの状況は? シスター・ノエルの遺体は回収出来ましたか?」
「7割がたは。ただ、これ以上は遺体の損傷が激しいために、その……、まだ時間がかかると>
「急がせなさい。彼女が最後に何を発見したか、確かめねばなりません」
<かしこまりました。現場に申し伝えます>


 ケイトの立体映像が消えると、カテリーナは立ち上がり、少しふらつきながら、窓枠に体をもたれさせた。
 その姿は、本当に弱々しくて、思わず支えたくなりそうなぐらいだった。


「カテリーナ……、あなた、本当に大丈夫なの?」
「ええ……。……私なんかより、貴方やアベルの方が、もっと辛いはずよ。だから、大丈夫。心配することじゃないわ」
「私のことも、心配しなくていいわ。……彼女が、ちゃんとついているから」


 僧衣のポケットから、1つの緑色に光るものを取り出す。
バロセロナで、が発見した片割れのイヤリングだ。
あの日から、彼女は肩身離さず持ち歩いていたのだ。
まるで、お守りにでもするかのように。



(ノエル……。あなたが残したものは、絶対に大事にするわ)
イヤリングを思いっきり握り締め、そう心の中で誓ったのだった。









ちょっとだけ、本編を絡ませましたが、あまり関係なかったです(汗)。
ユーグの話題も出たけど、そんなに深く突っ込んでないし。
そんなんでいいのか、よ(笑)。

アルフォンソ大司教との関係は、直に過去編で紹介とするとして、ここではあまり深く突っ込みません。
ほどほどにいい人に描く予定ではいますが、ちょっと難しいかも。
と言うか、アルフォンソより、グレゴリオ前聖下の方がよく出るかも。
てか、どんなキャラなんだろうか、前聖下(爆)。
ゆっくり構想、練らないといけないですね。ハァ〜……(汗)。





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