イシュトヴァーン戦役から2ヶ月が立とうとしたある日、

エステルは未だ数多くいる怪我人の治療にあたっていたをお茶に誘った。

とは言え、今のイシュトヴァーンしないにはカフェなどといった洒落たものはないため、

イグナーツの酒場の地下、つまりパルチザンのアジトで待ち合わせになった。



 近頃のは、怪我人に少しでも明るさを取り戻したいということもあってか、白の尼僧服を身につけていた。

今思えば、ここから聖マーチャーシュ教会へ戻った時、

彼女が尼僧服をうまく着こなせた理由は現役の尼僧だったからだと納得してしまう。




「怪我人の方々の状態も、少しずつ回復しているみたいですね」

「ええ。これも1つ、あなたがサポートしてくれたお蔭よ、エステル」

「そんな、あたしは大したことなんて、何もしていません!」

「私はそう思わないけど?」




 エステルを自分のサポートとして推薦したのには理由がある。

彼女には、人を勇気づける血からがあると確信していたからだ。

そうでなければ、怪我人達のあんないい笑顔を見ることなどなかった。




「あの、シスター・

「硬い」

「え?」

「私がシスターと分かったからって、呼び方まで変える必要なんてなくてよ」

「そ、それじゃ、さん……」

「それでよし」




 満足したようにが微笑むと、先ほどエステルが入れてくれたコーヒーを口に運んだ。

紅茶はが淹れたものには敵わないからといって、わざとコーヒーにしたのだ。

としては両方飲めるのだから大した問題ではないのだが、

この場にあの銀髪の神父がいたら何と言ったであろうか。




「私……、ローマに行くことにしたんです」

「アベルから聞いたわ。……でも、それでいいの?」

「はい。新しい司教さまやシスター達にも残るように言われたんですけど、いろいろ確かめたいことがあって」

「確かめたい、こと?」

「ええ。何なのかは……、まだ言えませんけど」




 エステルの表情は、何かを強く決心したかのように真剣だった。

だからアベルが、教皇庁に推薦状を送ったのだと納得するほどであった。

だからそれを返すかのように、は以前から、自分の中にある言葉を彼女に送った。




「……昔、私が自分の命より大事にしている人がいてね。私にこう言ったの。

『今自分がやれることを考えなさい』って」

「自分の、やれること?」

「そ。そのこともあって、私はそれからと言うもの、自分のやれることを精一杯やることに決めたの」




 あの時の光景が、の脳裏に蘇れば、ゆっくりと消えていく。

これ以上思い出したら、あの悲劇まで戻ってしまいそうだったからだ。




「エステル、今自分がやれることを、責任を持ってちゃんとやりなさい。もし私の力が必要になったら、

いつでも手助けするから。ね?」

さん……」




 言っていることは大したことじゃないのに、こんなに胸に響くのはなぜだろうか。

エステルは不思議に思いながら、を見つめていた。

珍しい色の目が、エステルに優しく注がれていることがよく分かる。




「エステルがローマに来てくれたら、私も嬉しいわ。しっかりしていて、頼り甲斐もあるし。

少なからず、あのアホ神父の何十倍も何百倍も助かるわ」

「そ、そんなことないです! ナイトロード神父の方が、私なんかより全然……」




 ここまで言ったが、エステルの脳裏に浮かんだアベルは、

へなへなとだらしない顔しか出てこなかった。

それが表情にも表れたのか、がくすくすと笑い始めた。




「ほら、やっぱり頼りないでしょ?」

「……確かに、そうですね」




 苦笑するエステルに、は再び笑い出す。

該当する人物が人物なだけに、止めようと思ってもなかなか止まらなかった。




「まあ、そんな駄目神父がいるところだけど、これからもよろしくね、エステル」

「はい。……あ、そろそろ戻った方がいいかもしれませんね」

「そうね。コーヒー、ご馳走様。美味しかったわよ」

「ただインスタントを淹れただけですよ」

「インスタントでも、心を込めて淹れれば美味しく感じるものなのよ。……本当、ありがとう」




 お礼を言うかのように微笑むに、エステルの鼓動が大きく弾ける。

ここ3ヶ月、ほとんど行動を共にしているのにも拘らず、

の笑顔になかなか慣れなかった。




「あぁ〜、疲れた〜。……おや、さんにエステルさん、休憩中でしたか〜」




 2人が席を立とうとした時、階段から誰かがが降りて来る足音がすると、

そこから黒の僧衣を着た銀髪の神父が姿を現した。

噂をすると、その人物が現れるのは相変わらずらしい。




「こんにちは、アベル。報告書、あとどれぐらいで仕上がりそうなの?」

「それがですね、お腹がさっきからごろごろ言ってましてね。気分転換に散歩してたら、

開拓中の穴にはまってしまいまして、服がもう、土まみれになってしまって……」

「……つまり、まだ何も手をつけてないってこと?」

「はい……って、あ、違うんですよ、さん! ちゃんと、題名は書きましたよ! 

『アベル・ナイトロードのイシュトヴァーン日記』って……」

「嘘を言うんじゃないの、このおサボり神父がー!!!」

「ウゲッ!」




 の見事な回し蹴りがアベルの腹部に命中すると、相手はその場にうずくまって痛みを堪えていた。

が、すぐに耳を捕まれ、無理やり立たされると、そのまま階段を上り始めた。




「イタッ、痛いです、さん! 引っ張らないで下さい!!」

「サボってたあなたがいけないのよ! さっ、しっかり書いてもらいますからね。エステル、

悪いんだけど、先に行っててくれる? 私、彼を椅子に縛り付けて来るから」

「は、はあ……」




 この2人は、いつもこうなのだろうか。

呆気に取られたエステルはふとそう思いながら、二人の後姿を見つめていた。



 自分はこの中に、しっかりと溶け込むことは出来るのだろうか。

そんな疑問が頭を横切った。

知らない土地、知らない人達に囲まれ、ちゃんと役目を果たすことが出来るのだろうか。

そんな不安が、彼女の中に渦を巻き始めていた。



 しかしそれは、が以前言った一言によってなくなろうとしてひた。






『自分のやっていることに誇りがあるなら、もっと背筋をぴんと伸ばしなさい。

そして堂々と歩きなさい。そうすれば、きっと報われるわ』






「……ありがとうございます、さん」






 階段を上りきったの後ろ姿に向かって、

 エステルは彼女の心に届けるかのように礼を言ったのだった。









さ〜ん、私、空腹で死にそうなのですが……」

「はいはい、あとでサンドイッチ作って持っていくから、やることちゃんとやりなさい」

「ありがとうございます、さん! おお、主よ! 私にも春の到来がありそうです〜!!」

「はあ、全く、大げさなんだから、もう……」



















久々に本編沿いを書いてみました。
エステルの決心に、が賛成する、といったところでしょうか。
最後のアベルが、やっぱりオチ的ポジションになってしまいましたが(笑)。


エステルとの関係は、今後深くなっていきます。
その辺は、まだ序章に過ぎません。
どんなに大きくなるのかは、今後のお楽しみということで。
そこまでちゃんと書けるか、ちょっと不安ですけどね(大汗)。
まあ、がんばってみます。






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