主人がいなくなった大司教館だが、館内を行く人の数は、以前よりも多くなっていた。
 日々押し寄せてくるマスコミ関係者の対応に追われていたのだ。

 “イシュトヴァーンの聖女”と呼ばれるようになってから、早5日立とうとしている。
 毎日の取材で体力を消耗しているエステルだが、
 全てのスケジュールを管理しているのことを思えば、
 こんなところでへばってはいけないと思ってしまう。

 の身のこなしは実に手馴れており、
 共に行動している教皇庁広報聖省アントニオ・ボルジア枢機卿も驚くほどだった。
 の指示で、警備もかなり強行されていて、突然訪れた訪問者の対応も素早かった。



「明日はローマに戻って、すぐに新聞記者達による取材が入っているわ。それまでに、
コメントをある程度まとめること。もし言葉とか浮かばないようだったら、
私が代筆するから言ってね」


 本当は疲れているはずなのに、エステルの前で笑顔を絶やさないに、
 エステルは自分の事ながら心配してしまう。
 本当はそんなに寝れていないのではないだろうか。



「大丈夫ですよ。さん、こういうことには慣れてますからね。エステルさんの知らないところで、
ちゃんと休んでいますよ」



 不安な顔をしたエステルに、護衛を任されていたアベルは微笑む。
 それを見て、一旦は納得するが、すぐに心配になってしまう。

 外の空気を吸いたいからと、エステルは部屋を出た。
 アベルが着いて行こうとしたが、1人でも大丈夫だと言い、
 彼を無理やり部屋に閉じ込めた。

 階段を下りて、外が見れる廊下へと出る。
 目の前にいる森林へ足を踏み入れると、エステルは木々の間を歩き始めた。
 11月のイシュトヴァーンはすでに肌寒さを感じるが、日中は太陽が高く上っていて温かい。

 その、温かい日差しが入り込んでいる森林で、エステルはある1つの木を見つけた。

 その木の木陰には、何かが横たわっているように見えて、
 エステルは慌ててその場に走り出した。
 ここは大聖堂の1角ではあるが、奥には一般市民用の公園があるので、
 そこから誰かが紛れ込んで来ても可笑しくなかった。

 だが、そんなエステルの不安も、近づくにつれてなくなっていった。



、さん?」



 なぜなら、そこにいたのはだったからだ。
 それも、木の根元を枕代わりにして、横たわっていた。



「………………ね、寝てる………………」

 着慣れない白の尼僧服に纏ったは、黒のスケジュール表を横に放り投げ、
 白のストールで覆われた格好で安らかな寝息を立てていた。
 どうやら、休憩するつもりで来て、睡魔に負けてしまったらしい。



「やっぱり、疲れていたんだわ……」



 安らかに眠るの寝顔を見ながら、エステルはぽつりと呟く。
 そしてそんな彼女の横に腰掛け、上を見上げてみる。



「うわぁ…………」



 木々の間から差し込む光の景色に、エステルは思わず声を挙げてしまう。
 まるで、写真でもみているのではないかと思うぐらい、この光景は綺麗だった。

 見えやすくするため、エステルはの隣に寝そべってみる。
 木々の間から注がれる光がとても眩しく、そして温かい。



「気持ちいいなあ……」



 よく考えてみれば、こうしてゆっくり休むのは久しぶりだった。
 そしてそれは、隣にいるも同じだった。
 だからこうして、ここでゆっくり休んでいるのだろうと思うと、
 彼女の気持ちが分かるような気がしていた。



「ふあ……っ。私まで眠くなって来ちゃった……」



 瞼が次第に重くなってくるのを感じ、エステルは目を擦りながら、睡魔に打ち勝とうとする。
 しかし今回は勝ち目がないらしく、どんどん眠りの世界へと落ちていったのだった。









〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜









 どれぐらい眠っていただろうか。はゆっくりと瞼を開けた。
 大きく伸びをすると、隣に誰かがいることに気づき、慌てて勢いよく起き上がった。



「………………エステル………………?」



 エステルの顔を見て安心しつつも、何故彼女がここにいるのかと首を傾げる。
 今はアベルと共に、自室で休憩しているはずだ。
 どうやってこの場所を見つけたのだろうか。



「アベル、聞こえる?」

『ああ、さん! 目が覚めましたか!?』



 隣で眠る尼僧の自室にいると思われる人物に話し掛ける。
 脳裏に響く声は、どこか焦っているようだ。



「ちょうど、今。それより、聞きたいことがあるんだけど……」

『私も、さんに聞きたいことがあるんです! あの……』

「エステルなら、私の隣で眠っているわよ。あんなに彼女から目を離すなと言ったはずだけど、
これはどういう意味か、説明してくれるかしら、ナイトロード神父?」



 寝起きなのも手伝ってか、の声は少し苛立っているように聞こえる。
 それがすぐに分かったからか、慌てたように弁解を述べようとする。



『いや、あのですね、外の空気を吸いたいとおっしゃったので、一緒について行こうとした
んです。そしたら、エステルさんが急に、「あっ! あそこにドーナツが飛んでる!!」と
窓の外を指差しましてね。まさかそれはないだろうとは思ったのですが、無意識に反応して
しまって……』

「それで、彼女の姿を見失ってしまった、というわけね。……本当、食べ物に弱いんだから
……」



 ここ数日、毎日のように大食いをし続けているというのに、彼の胃袋は無限大らしい。
 分かっていたこととは言えど、ここまで来ると呆れてものも言えなくなる。



「しばらくの間なら私が見ているけど、それも10分が限界ね。ボルジア枢機卿との打ち合わせに、
カテリーナへ報告もしないといけないし」

『それまでには、必ず合流しますよ。それよりカテリーナさん、単なる風邪だとおっしゃってましたが、
大丈夫ですかね?』

「……そうね……」



 アベルとが席を離れてすぐ、カテリーナが倒れたという報告があり、
 は慌てて彼女のもとにかけつけた。
 熱が高く、トレスが呼んだ医師によって運ばれる彼女の姿を、
 は少し、疑問そうに見つめていた。

 公の場では、彼女は風邪を引いたということになっていた。
 しかし、本当はそんな簡単な病気ではないことぐらい、はとっくに分かっていた。
 本人はそれを知ってか知らずか、に何1つ伝えていない。



「……ま、トレスもそばにいるし、本人が風邪と言うなら、そうなんだと思う。
だから、今は様子を見ましょう」

『そうですね……』

「私はこのまま、エステルのそばにいるから、10分後に絶対に来るのよ」

『ああ、はいはい。分かりました』



 アベルの声がここで途切れると、は大きくため息をついた。
 どこか疲れたようにも見えるその顔も、
 エステルに向けると、自然と和らいでしまうのが不思議だった。

 自分にかけていたストールを、エステルが起きないようにそっとかける。
 少しだけ動いたが、ただ寝返りを打っただけのようで胸を撫で下ろした。

 イシュトヴァーンに着いてから、エステルが休むことなく動き続けていることを、
 1番よく知っているのはだった。
 何1つ文句も言わず、スケジュールをこなしていく姿に驚きながらも、
 本当はゆっくりとイシュトヴァーンを巡りたいのではないかと思い、胸を痛めていた。
 周りのプレッシャーに耐えながらも、ここまで笑顔を振る舞い続けた彼女を、
 は誇らしく感じていた。



(まだ18歳で、いろんなことがしたい年頃なのに……)



 そっと、彼女の頭に触れると、安心させるかのように撫で下ろす。
 こんなことをしていると、まるでエステルが自分の妹のように感じてしまう。

 そう言えば昔、自分に妹がいたら、などという話をしたことがあった。
 あり得ない話だが、
 もし出来たら、その子が自分と同じような目に逢わないように護ると、
 そう言った覚えがあった。



(妹、か……)



「人間」なんて、彼女にとってはどうでもよかった。
 だが、「祖国」を持ち、そこに暮らす人々のお蔭で、その心は少しずつだが開けていった。
 それでも、「人間」に対する偏見はそう簡単に消えることなく、今もの心の中に残っている。
 そんな自分が、こうして1人の少女を、「妹」のように思っている。

 悩めば悩むほど、は大きな渦に巻き込まれていくかのような感覚に襲われた。
 何度も脳裏を横切る光景。そこに、確かな答えがあるはずだ。



(……やめよう。悩んでいる姿を見たら、アベルとエステルが心配する)



 エステルの体が動いたのは、が結論を出した時だった。
 瞼を開けたくないのか、何度か強く目を瞑る仕草は、やはり18歳の少女そのものだった。



「目が覚めたかしら、エステル?」



 優しく声をかけると、エステルは何かに気づいたのか、勢いよく目を開けた。
 そしてがばっと起き上がるなり、周りをキョロキョロと見回していた。



「いけない! あたし、そのまま眠ってしまって……、……あれ、このストールは……」

「それは私のよ、エステル。……どうやら、無意識のうちに眠ってしまったようね」



 あたふたしているエステルの姿に、は思わず笑ってしまいそうになる。
 一方エステルは、横にいるに深く頭を下げる。



「ごめんなさい、さん! 折角のお休みのところを、お邪魔してしまって……」

「それはいいのよ。あなたに何も言わずに、勝手に休んでいたんですもの。
こっちの方が謝らないといけないわ」

「そんな、さんは謝ることなんて、これ1つも……」



 両手と首を左右に振りながら、エステルは必死になって否定する。
 そんな彼女の姿に、は思わず苦笑してしまう。



「それより、いくらアベルが食べ物に弱いからって、それを抜け出す手段に使うだなんて考えたわね」

「……ご存知、だったんですね」

「もちろん」



 アベルとの間に、何らかの「繋がり」があることをエステルは知っていた。
 「知っていた」というより、「感じていた」という方が正しいかもしれない。
 そして、そんな2人を、エステルは羨ましいと思っていた。



「とにかく、イシュトヴァーンにいる間だけでもいいから、1人で勝手に行動しないこと。
何かあったら、私かアベルに言うこと。いいわね?」

「はい。本当、ご迷惑をおかけして、すみませんでした」

「その言葉、私じゃなくて、アベルに言う台詞でしょう?」



 そんなの言葉を読んだかのように、遠くから誰かが走って来る音がして、
 エステルはその方へ視線を向ける。
 ストールを手にしたアベルは、息を切らせながらも、
 探していた人物を見つけて安心しているようだ。



「よかった、エステルさん。やっと見つけましたよ」

「すみません、神父さま。ちょっと、1人になりたいと思っていたので」

「なら、ちゃんと私にそう言って下さい。物で、しかも、食べ物で脅すだなんて酷いですよ」



 ヘロヘロになっているアベルに、エステルは苦笑し、
 は少し呆れながらも、そんな2人の姿を見るのを楽しんでいるかのように微笑んでいる。
 太陽の光も手伝ってか、ここだけすごく温かく、
 ずっとこの場にいたいと思ってしまう。



「……さて、私は時間だから、そろそろ行くわ」



 名残惜しそうにその場に立ち上がり、土を掃うように尼僧服のスカートを軽く叩く。
 それを見ていたエステルも慌ててその場に立ち上がると、
 今まで体にかかっていたひらりとストールが地面に向かって落ちていった。



「あっ、いけない!!」



 エステルが慌てて手を伸ばしたが、その時には、ストールはその場になかった。
 一瞬の出来事で、エステルがあたふたしながら周りを見回したが、
 同じストールがの肩にかかっているのを見た瞬間、動きを止めた。



「……あれ?」



 拍子の抜けた声を出した時には、は2人に手を挙げて、
 アドレス帳を片手にその場から立ち去っていた。
 目を丸くしながらその光景を眺めていたエステルだったが、
 ふと、横にいるアベルを見た。
 彼の白いグローブが、少し茶色く汚れていたからだ。



「? どうしましたか、エステルさん? 冷えましたか?」



 アベルの声で、エステルははっと我に返る。
 そうだ。
 へなへななこの神父が、瞬時にストールを拾うわけがない。



「いいえ。……何でもありませんわ、神父さま。さ、部屋に戻りましょう。あたし、
紅茶が飲みたくなって来ました」

「そうですね〜。ここは結構温かいですが、長時間いると風邪引いてしまいますしね」



 ずっと手に持っていたストールをエステルの肩にそっとかけると、手をそっと差し出した。
 その手に、エステルは一瞬戸惑ったが、
 相手は自分が思っているようなことは考えていないだろうと思い、
 そっと上に置いた。






 冬に近づいていきているというのに、ここだけ、とても温かい。

 そんな温もりを感じながら、エステルはアベルと共に、

の跡を追うように大司教館へ戻ったのだった。


















無理やり終わらせた感があってすみません(汗)。


とエステルは、すごく姉妹っぽく見えます。
妹を心配する姉のような。
しかし、がエステルを心配する理由はちゃんとあります。
それがROM5〜6にかけて明らかにされます。
ごうご期待です。

アベルとエステルとの三角関係も好きです。

いえ、エステルとがアベルを取り合う、という三角関係じゃなく(聞いてない)。
アベルももエステルが大切で、エステルは2人を信頼している。
そんな関係だと思います。
私が書くトリブラは、いろんな三角関係があるんですけどね。
それも少しずつ書いていきましょう。

ちなみに今回、ちょっと試しに形式を変えてみました。
ご意見、お待ちしております〜。






(ブラウザバック推奨)