“剣の館”にある中庭には、目立った人影は存在していなかった。
街がすでに寝静まっている時間なのだから当たり前である。
眠れないからと言われて呼び出されたアベルが姿を現した時、
は少し奥に設置されている白いベンチに腰を下ろし、
遠くに輝いている月を眺めているところだった。
昔からの癖なのはよく分かっていたが、毎回彼女のそんな姿を見ると、
急に胸が締め付けられる想いに駆り立てられてしまう。
「また眺めているんですか、さん?」
横から聞こえる声に、は我に返ったようにはっとなり、声が聞こえた方へと視線を動かす。
少し苦笑しながら自分を見つめているアベルの顔を見て、彼女もつられて苦笑してしまう。
「すぐに治らないのは分かっているけど、ここまで来ると重傷よね」
「確かに、それは言えてますね。……お隣、座ってもいいですか?」
「もちろん」
は少し横にずれると、アベルがそこに腰掛け、
先ほどまで彼女が眺めていた月を見つめていた。
今日は半月のようだ。
「さんのことだから、呼び出した理由は何となく分かりますが……」
「いいえ。今日はそれが理由じゃないの。ただ何となく……、……眠れなくて」
コテッと寄りかかるを、アベルは何も言わず、自分の方へ引き寄せた。
本当に眠れなかったのか、それとも縛るのが面倒くさかったのか、
いつものように黒いリボンで縛られてない髪が、ゆっくりと風に靡いていた。
「疲れすぎて、眠れなくなったんですか?」
「分からない。ただ何となく、眠れないのよ」
「何となく? 寝るのが好きなさんが?」
「別に私、寝るのが好きっていうわけじゃないのよ?」
「私が知る限りでは、さんは寝るのが好きに見えますけどね」
が低血圧だからとかではなく、は純粋に眠るのが好きだったように見えた。
どんなに忙しくても、夜はしっかりと睡眠を取る。
もちろん、忙しい日の夜などは熟睡するのは当然だ。
そんな彼女が「眠れない」と言うのだから、不思議に思わない方がおかしくなかった。
「アベル」
「はい?」
名前を呼ばれて、の顔を覗き込めば、がそっと、アベルの唇に軽く触れる。
突然の行動に、アベルは驚いて、思わず叫んでしまった。
「さん!?」
「……キスして」
「こ、ここでですか?」
「誰もいないから、大丈夫よ。それとも何? 私とキスしたくないわけ?」
「そそ、そんなことありませんって!」
「じゃあ、して。ね?」
いつもと様子が違う。アベルは直感でそう思った。
自ら、こんな発言したことが今までになかったからだ。
「……本当、何かあったんですか? 怖い夢とか、見たんですか?」
「……もういい」
自分の希望に答えてくれないと分かったからなのか、
はアベルから離れるようにその場に立ち上がり、スタスタと歩き出してしまった。
「あ、ちょ、ちょっと、さん!?」
追いかけようとその場に立ち上がり、急いでの後を追いかける。
しかし、の歩く速度が徐々に早まっていくためか、自然と早足に変わっていった。
気がついた時には、はアベルから逃れるかのように走り出しており、
追いつくかのようにアベルも走り出していた。
しかし数分後、ようやくの右腕を掴んで、彼女の足を止めることに成功した。
「離しなさいよ、アベル! 部屋に戻りたいのよ!」
「この状態で、帰らせるわけにはいきま……」
かすかに見えたの頬から流れるものを見て、アベルははっとしたように目を見開く。
もしかして、腕を強く掴みすぎているかと思い、慌ててその手を離し、
あたふたしながら謝罪しようとする。
「あ、す、すみません! 腕、痛かったですか? それとも、どこか具合が悪い……」
「……淋しかったのよ」
ポツリと呟くの声に、アベルは自分の言葉を飲み込んでしまった。
ゆっくりと振り返るの頬には、涙を流した跡がくっきりと残っている上、
アースカラーの瞳には未だに涙が溜まっている。
「ただ単純に、淋しかったの。毎日、こうやって会っているのに、なぜかとても、淋しくて」
「さん……」
「夜、目を閉じると、アベルの顔が浮かんできて、離れなくなって。そうしているうちに、
無償に会いたくなって、眠れなくなって……。自分でも驚くぐらい、眠れなくなって……」
は、アベルの“フローリスト”。
彼女を淋しくさせた理由は、少なからず彼女の“クルースニク”である
アベルのせいだということも考えられる。
しかしアベル自身は、その原因がどこにあるのかが分からず、ただ何も言わず、
を強く抱きしめることしか出来なかった。
「……すみません、さん」
理由が分からないから、謝る必要もないのだが、
に淋しい想いをさせたのには変わりがないので、
彼女の心を落ち着かせるかのように謝罪の言葉を言う。
「苦しませて、本当にすみません……」
落ち着かせるように髪を撫で、うなじに優しく唇を落とす。
少し離して、涙が流れる頬にそっと触れ、親指で優しく涙をふき取り、
その跡にそっと唇を当てた。
「……キスして」
再び発せられた要求に、今度はすぐに叶えさせる。
最初は軽く、そこから徐々に深くなり、の両腕がアベルの背中に回され、
強く抱きしめた。
息苦しくなって唇を離すが、すぐに塞がれ、また深くなっていく。
時に唇が離れ、の頬や瞼などを優しく触れ、再び唇を塞いでいく。
その感覚に、は酔ってしまいそうになっていた。
一体、どれぐらい長いごと続けていただろうか。
気がつけば、月の位置が少し移動していて、違う方向から2人を映し出していた。
「……ありがとう」
耳元で聞こえるの声は、先ほどの不安そうな声とは違い、
少しだが元気を取り戻したかのように聞こえた。
「本当に、ありがとう、アベル」
アベルの視線の先に、いつもと変わらない笑顔を見せるの姿があり、
ほっとしたかのように微笑む。
それと同時に、の口がかすかに開いて、
アベルは無事に睡魔が襲って来たのを確信した。
「眠くなってきましたか?」
「そうみたい。……何だか、不思議よね。これだけで眠くなるだなんて」
「確かに。……でも、よっぽど不安、だったんですね」
「心当たりなんて、全然なかったのに、おかしなものよね」
「全くです。私、思わず深く考えちゃいましたよ」
少し呆れたような表情を見せるアベルに、は思わず笑ってしまう。
最初の発端を作ったのはだと言いたかったが、
無事に睡魔もやって来たのだからやめておこうと、
アベルは心の中にあった言葉を引き出しにしまった。
「さ、寮まで送りますよ、さん」
「ありがとう。……アベル」
「はい?」
「もしまた、眠れなくなったら……、今みたいに、してくれる?」
の視線は、真っ直ぐアベルに注がれ、離そうと思っても離せなくなる。
アースカラーに輝く光が、湖色の光と混ざり合い、そして反射的に距離が縮まっていく。
「もちろんですよ、さん。ですから……、いつでも言って下さいね」
「うん……」
月の下で、何かを誓うかのように触れ合う唇は、しばらくの間、離れることはなかった。
ごめんなさい、甘すぎました(大汗)。
何か、こういうのを書きたいなあとは思ったのですが、ほどほどが聞かない私なので、
思いっきり甘くなってしまいました。ヒーッ(笑)。
タイトルは、ドリカムの「やさしいキスをして」から頂きました。
この曲に関しては、以前メインサイトでオリジナルの詩を書いたぐらい好きです。
美和さんの切ない歌い方に惹かれるんですよね。
私まで切なくなったのを覚えています。
さて、今度は少しギャグにでも挑戦してみよう(出来るのか!?)。
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