AM8:30。

 いつもより遅い時間に、クレアは眠気に魘されながら目を覚ました。

 前日、いつもより早く寝ようとしたのだが、

 父であるシェインに散々振り回されたため、ゆっくり眠れなかったのだ。



 ベッドの中で何度も寝返りを打った後、何とか上半身を起こす。

 大きく伸びをして、首を左右に回す。

 近頃キリエにマッサージしてもらっているからか、首の動きがかなりスムーズだ。



 ベッドから離れ、カーテンを思いっきり開ける。

 太陽の日差しが部屋の中へ差し込み、思わず目を掠めてしまう。

 今日も雲1つない、最高の天気のようだ。



 クローゼットを大きく開く。

 黒のジーパンと白地で黒の十字架が袖に施されているニットを取り出す。

 パジャマを脱ぎ捨て、それらに袖を通すと、

 ヘアドレッサーの前へ腰を下ろした。



 ふだんはあまり髪を縛ることのないクレアだが、

 休日になると、決まって髪を上で1つにまとめて縛っていた。

 それは、彼女なりのオンとオフの切り替え方でもあった。



 首元で輝くのは、ピアスとお揃いのシルバーの薔薇と黒十字のペンダント。

 少しごつめに作られているため、休日にしかつけることが出来ないものだった。

 そしてクレアにとっては、大事なものでもあった。



 備え付けのバスルームで顔を洗い、化粧水と乳液をつける。

 そして軽く化粧をして、部屋を出て行く。

 この時点で、クレアの顔から眠気はすでに飛んでいた。



 すれ違う人達に声をかけながらダイニングに到着すると、

 すでに父であるシェインが朝食を取っているところだった。

 クレアと違って、彼は人一倍の早起きなのだ。




「おはよう、クレア。その様子だと、またぐっすり眠れなかったみたいだね」

「どこの誰のせいで眠れなかったと言うのよ」




 少しピキッと来たが、ここはとりあえず押さえて席に座る。

 用意されたコーヒーを口に注ぐと、思わず息が漏れる。




「昨夜はそんなに長く引き止めた覚えはないのだが、もっと早く寝たかったのか?」

「休みの日ぐらい、ゆっくり寝たいわよ。それに、アベルだって遅くまで辛かったでしょうに」

「彼は君と一緒にいれて、嬉しそうに見えたけど、違うと言うのか?」

「……さあ、どうでしょうねえ……」




 アベルはシェインがどうも苦手だった。

 クレアの父だからというのもあるが、彼の両親のことを良く知っている人物なだけに、

 変に抵抗出来ないのだ。




「シェイン、クレアの機嫌を余計に悪くしてもいいことなんてないわよ。――おはよう、クレア。

ごめんなさいね。帰ってくる度にこれじゃ、あなたもゆっくり休めないわね」

「おはよう、母さん。大丈夫、大分慣れたから」




 キッチンの方から出てきた母ステイジアに、クレアは苦笑しながら答える。

 そんなクレアの前に、ステイジアは焼きたてのオムレツを置いた。



 シェインとクレアの地位のこともあり、それなりの屋敷にも住んでいるのだが、

 それでもステイジアは、しっかりと食事の支度をしてくれる。

 この母の温かさに、クレアも何度も慰められていた。




「アベルは何時に来るの?」

「AM9:30ぐらい。でも彼のことだから、もっと早く来るんじゃないかしら」

「そう。それじゃ、彼の分の朝食も作らなくてはいけないわね」

「そこまで気を使う必要はないだろう。第一、彼だって、家で朝食ぐらい食べてくるだろうに」




 最初にクレアにアベルを紹介したのはシェイン自身なのだが、

 いざ恋人同士になると、どうもアベルのことがあまり好きではないようで、

 彼のことになると機嫌が悪くなるのが良く分かる。




「セスは早くから施設の方へ行っているだろうし、彼のことだから、朝食も取らずにここへ来る

ことは目に見えているわ。目的のものがあるからね」

「はいはい。ちゃんと用意しておくわ」




 クレアとアベルとカイン。

 3人は揃って、よくこのダイニングテーブルに座り、朝食を取っていた。

 その時に登場したステイジアのオムレツが、3人とも大好きだった。

 もちろん今でも、アベルはそのためだけに朝食を抜いて来るほどだ。

 もしその場にカインもいたら、彼も同じ理由でここに来るであろう。



 ふとそんなことを思っていると、明るい鐘が鳴り響いた。

 どうやら、噂の人物が姿を現したらしい。




「私が出るわ。クレアはちゃんと朝食を取りなさい」

「ありがとう」




 ステイジアが立ち上がると、玄関の方へ向かって歩き出す。

 たとえメイドなどがいたとしても、家の者が出迎えるのが、ここの仕来りになっていた。



 玄関の鍵を開け、大きな扉を開くと、

 そこには黒のパンツにジャケットを羽織り、髪を下ろしているアベルの姿があった。




「おはよう、アベル。ゆっくり休めたかしら?」

「おはようございます、ステイジア様。ええ、何とか眠れました」




 敬語で話しているが、声はいつもと違って低く聞こえる。

 幼い頃から知っているからか、アベルは仮面を被ることなく彼女に接していく。




「朝食、まだなのでしょう? 今からすぐに作るから、ダイニングへ行ってて。クレアもいるから。

……ああ、シェインのことは気にしないで。いつものことだから」

「すみません、毎回毎回、ご迷惑をおかけして」

「私はあなたが、クレアの側にいてくれるだけで十分嬉しいわよ」




 ステイジアの笑顔は、クレアの笑顔に良く似ている。

 この母にこの娘あり、という言葉がぴったりなほどだ。



 キッチンへ向かったステイジアを見送り、アベルは勇気を振り絞ってダイニングに入る。

 それにすぐ反応したのはクレアだった。




「おはよう、アベル。やっぱり、約束よりも早かったわね」

「おはよう、クレア。癖っていうのは、そう簡単に治りそうもなくてな」

「癖になってしまったとなると、かなり重傷だな」

「……おはようございます、シェイン様」

「おはよう」




 冷たい視線を感じながら、アベルはいつも通り、クレアの横の席につく。

 メイドによって注がれたコーヒーを口に運び、とりあえず落ち着こうとする。




「今日の行くところは決まってるのか?」

「いつもと同じかな? あ、ルシアがお店用のワインを買ってきて欲しいって言ってたわ」

「ルシアのことだから、拘りがあるんだろう」

「当然。店まで指定されたわ」




 ルシアの博識ぶりは皇帝区にいる時からかなり有名で、

 次から次に出てくる話に、クレアもアベルも感心するばかりだ。

 だが料理が出来ない。




「今日はゆっくり休んで、明日に備えないと」

「皇帝誕生祭が近いしな。いろいろ調整しないといけないし」

「今年も平穏に終わればいいんだけどね」

「さて、それはどうだかね……」




 突然会話に乱入してきたシェインの声に、クレアの鋭い視線が彼に飛ぶ。

 仲良く喋る2人に対して、嫌がらせでもしようとしているのであろうか。




「私の発言に異論でもあるといった表情だが、こっちにもちゃんとした理由がある」

「その理由とは?」

「近頃陛下宛に嫌がらせの手紙が送られているようでね。すごく手が込んでいて、新聞の文字を

1つずつ切り取って、それを貼り付けてといった、いかにも原始的なものだそうだ」

「それはいつからです?」

「2週間ほど前かららしい。ウィリアムから聞いた情報だから確かなはずだ」




 ウィリアム・ウォルタ・ワーズワース。

 皇帝区情報将校であり、トランディスの師匠でもある人物だ。

 そうなると、クレアもうかつに反抗しにくくなる。




「折角の休日なのに、そんな不安要素を植え付けてどうするの、シェイン」




 ダイニングに入ってきたステイジアの声が天の声に聞こえ、

 クレアもアベルも思わず安堵のため息を漏らした。




「私は真実を伝えただけだが、それでも気分を害したと言うのか?」

「休みの日ぐらい、仕事のことを考えさせたくないだけよ。それとも何? あなたはクレアの

安らぎの場所をなくすおつもりで?」

「わ、私は別に、そんな意味で言ったんじゃ……」

「私にはそう聞こえたわ」




 さすがのシェインも、ステイジアには頭が上がらないらしく、

 そのまま黙ってコーヒーを啜った。

 その様子にかすかに笑いながらも、クレアはトーストを口に運ぶ。

 アベルの前にもオムレツが無事に届き、それを頬張っている。




「ああ、そうそう。今日は暖かいから、郊内にある公園でのんびりして来なさい。

きっと気持ちいいわよ」

「ありがとう、母さん。そうするわ。アベルも、ゆっくりしたいものね」

「どうせまた、荷物持ちされるんだ。いい休憩になる」






 これから買う物の内容を思い浮かべ、重いため息をつくアベルに、

 クレアとステイジアが思わず笑ってしまう。

 そんな彼らを、シェインが少しつまらなそうに眺めていたのだった。

















 朝食を取り終えた2人はアベルの車に乗り、予定通り買い物を済ませていく。

 買ったものはすべてアベルに託し、クレアは小さなリュックを肩にかけ、店を梯子する。

 ルシアに頼まれたワインを始め、

 クレア御用達のウィスキーにコーヒー豆、そして私服。

 いつの間にか、アベルの手にはたくさんの紙袋が抱えられていた。




「毎回思うんだが、お前、買いすぎだぞ」

「コーヒー豆もウィスキーも、私にとっては必需品なの。それに、ウィスキーはレオン達への

お土産にもなるし」

「それは分かる。だが、服まで買う必要はないんじゃないか? ウェステルで着ることなんて

ないのに」

「休日用の服が欲しいからに決まっているでしょう? 毎回同じ服を着るだなんて、私、嫌よ」




 ウェステルでは仕事の関係上、軍服でいることが多い。

 それでもクレアは、普段着を買い込んでいた。

 オンとオフの違いをちゃんと出したいからというのと、

 アベルとの休日を、もっとリラックスした格好で過ごしたいからだ。

 それを知らないアベルにとって、クレアの行動が少し疑問に思っていたのだ。




「1着ぐらい、着てない服とかあるだろう?」

「ないわよ」

「本当か?」

「本当よ。私がここで中佐をやっていた時から、服はたくさん持っていたし」

「その頃から、俺は荷物持ちだったしな」

「私が持とうとしたら、率先して持ってくれたのはあなたじゃない」

「それとこれとは違う」




 身軽に歩くクレアを、少々呆れながら見つめるアベル。

 今に始まった話ではないため、もう半ば諦めてはいるが、

 どこまで体力が持つのだろうかと、いささか不安になる。




「もうギブアップなのか、ナイトロード?」




 その声は、クレアのものではなかった。

 彼女よりも低い声で、男性のものなのは確かだ。

 しかも声は、横のテラスから聞こえてきたような気がする。




「休日まで一緒にいるとは、本当、飽きないな。ナイトロード、荷物持ち、代わろうか?」

「「……トランディス(さん)!!」」




 テラスに座っていたトランディスの姿に、クレアとアベルは思わず声を張り上げる。

 特にアベルは、今までの自分の言動が聞かれてないかと思うと不安になる。




「ど、どうしてここにいるんです!?」

「師匠と待ち合わせ中だ」

「師匠? ……ああ、ワーズワース情報将校ね」




 師匠であるウィリアムとの待ち合わせがテラス付きのカフェとは、

 いかにも彼らしいと言えば彼らしい待ち合わせ場所である。




「それより、本当にたくさん買ったな。ナイトロードの私物か?」

「まさか。全部、クレアさんのですよ」

「だよな。金欠で有名なお前が、こんなに買い込めるわけがないしな」

「そうですよ。毎月、財布が底抜け状態になっている私に……って、私、そこまで金欠じゃ

ありません!!」




 アベルが金使いの荒いのは有名な話だ。

 だがクレアがウェステルに配属され、彼の金銭関係をしっかり管理するようになってから、

 少しだが、地道に(クレアが)貯金をするようになっていた。

 「セイレーネス」での会計もクレアがするのだが、彼の分はしっかりと給料から抜いている(え)。




「まあ、そうかっかするなって。しかしお前、髪下ろすと長いんだな。写真撮っていいか?」

「写真ですか!? いいわけないじゃないですか! あ、まさかそれを高額で売ってばら撒こうとか

考えてないでしょうね!」

「野郎の写真をばら撒いて何が楽しい? まあ、ガルシアとかに見せて笑いの対象にさせるのには

持って来いかもしれないな」

「うわー! それだけは勘弁して下さいー!!」




 このまま逃げてしまおうか。

 クレアの脳裏に一瞬、そんなことが横切った。

 だがとりあえず見守ることにし、こっそりテラスに入って、コーヒーを注文していた。



 トランディスから少し離れた席に座り、コーヒーを口に運ぶ。

 そして遠目でアベルを見つめると、相手がそれに気づいたのか、一瞬わざとらしく睨みつけていた。

 が、クレアはそれを、まるで応援でもするかのように手を振って返した。



 しばらくして、トランディスの待ち人が登場したらしく、

 アベルへ紳士らしくお辞儀をするウィリアムの姿が見えた。

 クレアは彼に気づかれないように頭を下げながらも、様子をうかがうように見つめている。

 トランディスがその場に立ち上がり、ウィリアムと共にその場を離れていくが、

 その時、一瞬トランディスがクレアの方を見て怪しく笑ったように見えて、

 クレアは思わず火をつけた煙でむせそうになった。




「お前、勝手にテラスで寛いでるなよ……って、大丈夫か?」

「た、多分……。よかったわね、アベル。トランディスにからかってもらえて」

「ちっともよくない」




 呆れた表情をしながら荷物を置き、クレアの横に座る。

 ウェイトレスに紅茶を注文すると、トランディスが座っていた方を見つめながら、

 クレアにポツリと呟く。




「トランディスさん……、まさか俺達がここを通ることを知って、あそこにいたんじゃないのか?」

「まさか。いくら何でも、そこまで情報通なわけないじゃない」

「だが彼のことだ。店員の1人や2人、顔馴染みがいるだろう」




 トランディスは顔が異状に広い。

 ウェステルはもちろん、皇帝区でもイスターシュでも、

 彼のことを知らない人物はいないほどだ。

 ともなれば、クレアやアベル、そして他の軍関係者の行動まで、把握していても可笑しくない。

 それを思うと、うかつに街を徘徊出来なくなってしまう。




「……やめましょう、アベル。そういうことを考えるのは」

「だな。今日は折角の休日だ。休める時に休んでおかなきゃ、体力が持たない」






 何かを諦めたかのようにため息をつくと、

 クレアはコーヒーを口に運んだのだった。



















休暇の大半は皇帝区で過ごすアベルとクレア。
そしてクレアの父シェインさんと母ステイジアさんが登場しました。
ちなみに、本編でのクレアの父の名は違うのであしからず。

それより、トランディス、私は君の情報網の広さを知りたいよ(え)。
こうなると、本当に下手な真似は出来ません。
噂が彼を経由して、国中に広まる可能性もあるわけですからね。
頑張れ、2人とも(え)。





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