「キリエばかりずるい。どうして私をおいてったの?」

 

 

 リエルがクレアのことですぐに拗ねるのはいつものことだが、

 事が事だったため、今回は宥めるのに時間がかかりそうだった。

 

 

「こっそり出て行ったようだったけど、行き先が分かってたからまだよかったよ。行くんだったら、

私も連れて行って欲しかった」

「一気に2人もいなくなったら、もっと大変なことになったでしょ?」

「そうだけど」

 

 

 カウンターの椅子に座って、うつぶせになりながら愚痴るリエルに、

 キリエは思わず苦笑してしまう。

 確かに、店の看板と言ってもおかしくないこの姉妹がいなくなったら、

 騒動はもっと大きくなっていたことであろう。

 

 

「クレアさんが復帰してきたらおもいっきり甘えるから我慢しよう」

「あまり迷惑かけるようなことしちゃ駄目よ」

「勝手に軍施設に乗り組んだキリエに言われたくないよ」

「うっ……」

 

 

 どうやら、今回ばかりはリエルに反抗出来ないらしい。

 キリエは彼女の言葉に、ただ黙ってしまうだけだった。

 

 だが、そんな彼女に天の声が降り注いできた。

 

 

「リエル。キリエも十分反省しているのだから、それぐらいにしておきなさい」

 

 

 2階から降りてきたルシアは、少々呆れた表情を見せながら、

 カウンターにいる姉妹に言いかける。

 

 

「クレアにとって、今が一番辛い時。それを心配するキリエの気持ちはよく分かるし、

それに対してリエルが言いたいことも分かる。でも、もしこのことをクレアが知ったら、

彼女のことだから、余計に背負ってしまうわ」

 

 

 ルシアの言っていることは的に嵌っていて、キリエもリエルも言葉が出ない。

 そう、自分達がギャーギャー騒いでいても、クレアの不安は消えることなどないのだ。

 

 

「さ、2人とも分かったら買出しに行って来て頂戴。お酒類が減ってきたから、酒屋さんで

注文して来て欲しいの。あと、食料調達ね」

「「はい」」

 

 

 2人にメモ帳とお金の入ったお財布を渡すと、ルシアは再び2階へ向かう。

 今日はイザークがカインの定期検診に来ているため、付き添いをしているのだ。

 

 

「ルシアも大変だね」

「うん。でも、カインさん、羨ましいな」

 

 

 キリエは、ルシアとカインがいつも同じ場所にいることが羨ましかった。

 でも彼がまだ軍にいた時、きっとルシアも今の自分と同じ気持ちだったのだろうと思うと、

 これを何としてでも乗り越えなくてはと思う。

 

 それに、淋しいのは自分だけではない。

 相手も同じぐらい、会いたいはずだから。

 

 

「さ、リエル。買出しに行こう」

「うん。……あっ!!」

「どうしたの?」

 

 

 突然の発言に、キリエは思わず首を傾げた。

 リエルはそんな彼女に微笑むと、コソコソと耳元で話し始めた。

 それを聞いたキリエの表情は、驚きを隠せないでいた。

 

 

「駄目だよ、リエル! そんなことしたらクレアさんが……」

「私、誰も自分達で届けるなんて言ってないけど」

「じゃあ、どうするの?」

「トレスにお願いすればいいのよ」

「トレスに?」

 

 

 突然登場した名前に、キリエは再び驚き、目を見開いた。

 一方リエルは、そんなキリエの表情を楽しむかのように笑みを作る。

 

 

「どうしてトレスなの? ナイトロード中佐でもいいじゃない」

「だって、キリエはトレスとの方が交渉しやすいし」

「そうだけど……」

「じゃあ、決まり。お願いね!」

 

 

 

 それだけ言って、笑顔で店を出て行くリエルを、

 キリエはただ呆然と見つめることしか出来なかった。

 

 

 

 

 アベルが持ってきた資料は予想以上に多く、

 クレアは思わず目を丸くしてしまった。

 

 

「これ、ちょっと溜めすぎじゃない?」

「俺もそう思ったが、中将も大変だから仕方ないだろう」

 

 

 謹慎中にクレアに与えられた仕事は、

 軍事費などが書かれた経費資料をまとめることだった。

 

 

「中将曰く、クレアならこれぐらいのこと、楽にクリアするだろうから問題ないとのことだ」

「別に否定はしないけど……」

 

 

 資料に目を通しながら、クレアは煙草に火をつける。

 パソコンの電源を入れ、必要なソフトを起動させると、

 席を立って、コーヒーメーカーに置かれたポットからコーヒーを注いだ。

 

 

「まあ、謹慎中の身だからやるけど、時間かかるわよ」

「3日間では仕上がるだろう?」

「とりあえず、余裕とでも言っておこうかしら」

 

 

 再び席に戻り、口に加えた煙草の灰を灰皿に落とすと、

 また口に加え直して、一気にキーボードの上に指を走らせた。

 軍人でパソコンを使える人物はたくさんいるが、

 クレアほど早く打ち込める者はそういない。

 いや、彼女のスピードは異状すぎた。

 

 

「相変わらず早いな。腱鞘炎になるぞ」

「そんなことを言っている暇があったら、資料を月別に並べ替えて」

「了解、分かったよ」

 

 

 中佐であるアベルはクレアの秘書的な役割を持つ。

 そのため、彼女の仕事を手伝う使命がある。

 アベルは小さくため息をつくと、たくさん詰まれている山を崩しながら、

 1つずつ資料を月別に並べ直し始めた。

 

 煙草の灰がキーボードに落ちそうになるのを何とか防ぎながら、

 クレアは手を止めることなく資料をまとめていった。

 時に口から煙草を外し、左人差し指と中指ではさんだままでも、

 彼女のスピードは遅くなることなどなかった。

 片方でマグカップを持っていても、片方はキーボードを叩いているのだから、

 他人が見たら異様な光景だったに違いない。

 

 

「く〜。アベル、今日はここまででいいかしら?」

「これだけ出来れば上等だ」

 

 

 PM6:00。

 目の前にある資料があと1/3まで減ったところで、ようやく手が止まった。

 

 

「それじゃ、これ、中将に届けて来る」

「ありがとう。……アベル、今日、『セイレーネス』に行く?」

「いや、今日は行かない」

 

 

 アベルの答えに、クレアは思わず目を丸くしてしまう。

 いつもなら何振り構わず「行く」と言うアベルが、逆の答えを言ったのだから、

 驚かないわけがなかった。

 

 

「行かないって、どうして?」

「どうしてって、当たり前だろう」

 

 

 平然とした答えになってない答えに、クレアは首を傾げる。

 一体、どういう意味なのだろうか。

 

 

「とにかく、これを中将に届けたら、適当に食料を調達して戻って来る。だから、昨日

持ってきたウィスキーの準備をしておけ」

「……あ、ちょっと待ちなさい!」

 

 

 もしかして、自分のせいで我慢しているのかもしれない。

 そう思った時には、その場にアベルの姿はなかった。

 

 自分なんかのために、そんなことしなくてもいいのに。

 新しい煙草に火をつけながら、クレアは大きくため息をついた。

 アベルが彼女のことを気にかけるのはいつものことだが、度を過ぎるのも逆に困る。

 だが不器用なアベルにとって、これが彼なりの精一杯の気遣いなのだ。

 

 

「それじゃ、しっかりと付き合ってもらいましょうか」

 

 

 

 残ったコーヒーを飲み干すと、クレアは沈んでいく太陽をずっと見つめていたのだった。

 

 

 

 

「届けたいもの?」

 

 

 胸元にいるキリエの言葉に、トレスは顔を少し顰める。

 そんなトレスの顔を、キリエは少し苦笑気味で見つめている。

 

 

「うん。ほら、クレアさん、きっと淋しいだろうから」

「只今、キース大佐は経費資料をまとめる任務を推敲中。ナイトロード中佐がその補佐をしている。

よって、キース大佐は1人ではない」

「けど、今も1人苦しんでいるんだよ。それを少しでも、取り除きたいの」

 

 

 昨夜、軍施設へこっそり潜入して会ったクレアの表情はいつも通りに見えたが、

 どこか無理して押さえ込んでいるようにも見えた。

 今も脳裏に浮かんでは、キリエ自身も苦しくなりそうだ。

 

 

「最初はリエルの意見に、正直反対する部分があったの。そっとしておいた方がいいのかなって思ったから。

けど、やっぱり心配で……」

「卿が心配することは何もない」

「分かってるけど……」

 

 

 そんなことは分かっている。

 けど、放っておくことなど出来ない。

 それはキリエにとって、クレアの存在が大きかったからだ。

 

 どんな些細な悩み事も、クレアはすぐに聞いてくれ、親身に考えてくれた。

 そのお礼を、まだ何もしていない。

 

 

「でも、やっぱり……、何かしたいよ」

「……キリエ」

 

 

 腕の力が強くなり、引き寄せられる。

 額にあたる唇が優しくて、安心する。

 

 

「……俺はいつ取りに来ればいい?」

 

 

 耳に入ってきた言葉に、キリエは驚いたようにトレスの顔を見つめる。

 いつものように冷静だが、どこか温かい。

 

 

「今、何て……?」

「いつ取りに来ればいいのかと聞いた。解答を、キリエ」

 

 

 トレスの質問に、キリエの表情がぱあっと明るくなるのがよく分かる。

 どことなく、瞳に涙がたまっているようにも見える。

 

 

「本当に、いいの!?」

「肯定。ただし、このようなことをするのは今回だけだ」

「うん! ありがとう!!」

 

 

 

 お礼を言うように、頬にそっと唇を落とす。

 そんなキリエの唇に、トレスは安心させるようにそっと自分の唇を重ねたのだった。

 

 

 

 

 そして翌日。

 事務作業を終えたのと同時に、扉をノックする音がした。

 扉を開けると、そこには紙袋を手にしたトレスの姿があった。

 

 

「ナイトロード中佐はどこにいる?」

「哨戒中。ついでに、シルフィの様子を見に行ってる」

 

 

 隅にあるテーブル席に案内してから、マグカップにコーヒーを入れる。

 それをトレスの前に置くと、クレアはパソコンのデータをセーブして、電源を落とした。

 

 

「昨日、セスから連絡があって、『無礼者は無事に受け取った』って言ってたわ」

「ナイトロード中佐から聞いている。さらに付け加えると、すぐに軍法に法り、退役処分になったとの

報告を受けている」

「あら、そうだったの?」

「肯定。ハザヴェルド将校の情報だから間違いない」

 

 

 トランディスの情報網はかなり広く、

 同じ情報通のクレアでさえもお手上げなぐらいである。

 彼の言うことなら、確かなことであろう。

 

 

「キース大佐。今日は卿にこれを渡しに来た」

 

 

 そう言って差し出したのは、先ほどから手にしている紙袋だ。

 受け取ってみると、しっかりとした重みが伝わってくる。

 

 

「何なの、これ?」

「キリエとリエルからの差し入れだ」

 

 

 トレスの答えに、クレアは首を傾げる。

 差し入れとは、本来仕事中とかに貰うものなのだが、

 今のクレアは謹慎中の身だ。

 それなのに受け取っていいものか、思わず悩んでしまう。

 

 

「キリエもリエルも、卿のことを心配している」

 

 

 悩んでいるクレアの耳元に届いたのは、

 冷静で、しかしどこか説得するかのようなトレスの言葉だった。

 

 

「少しでも元気になってもらいからと言って、昨夜、俺に依頼をして来た。2人の行為を無駄に

することは、俺が代わりに許さない」

 

 

 紙袋の中を覗くと、そこにはサンドイッチとマフィンが入っている。

 おそらく、キリエがサンドイッチを、リエルがマフィンを作ったのであろう。

 キリエがサンドイッチにしたのは、クレアが大のサンドイッチ好きなのを知ってのことだというのは、

 中身を見てすぐに分かった。

 

 

「今回の事件は、卿が責任を感じる必要は皆無に近い。俺が卿であったとしても、同じことをしたと

推測される。よって、卿が不安になる要素は何もない」

「トレス……」

 

 

 サンドイッチを取り出し、一口運ぶ。

 ツナの優しい味が広がり、とても優しい気持ちにさせていく。

 

 

「……さっきね、レオンとトランディスが来たの」

 

 

 1つ食べ終わり、コーヒーの入っているマグカップを持ち上げる。

 一口飲んで、かすかに微笑む顔は、どこか嬉しそうだった。

 

 

「私がいつも皇帝区から調達しているコーヒーが丁度手に入ったからって、ここまで届けに来て

くれたの。本当は、私のためにわざわざ買いに行ったんでしょうけど、私に気を使ってか、

そんなこと、一言も言わなかった」

 

 

 2人がクレアを訪れに来たのは、昼を過ぎた時だった。

 トランディスは、相変わらず早いクレアのキーボード裁きに呆れ、

 レオンは彼女のそばにつきっきりのアベルを冷やかして、部屋を和ませた。

 そんなことをするのも、やはり誰もがクレアのことを心配し、

 早い復帰を望んでいてのことだった。

 

 

「今まで私って、どれだけ信頼されてるんだろうって、ちょっと不安だった部分があったのよね。

だから、みんながこうやって、私のことを心配してくれて、ちょっと嬉しかったりしてね。

ちょっとだけ、肩の荷が下りた気分なの」

 

 

 ウェステルに到着したばかりのころは、父の偉大さに飲み込まれ、

 影が薄くなるのではないかと思っていた。

 しかし実はそんなことなく、こうして部下や街の人達が彼女のことを気にかけてくれる。

 

 

「ありがとう、トレス。キリエとリエルにもお礼言っておいて」

「了解した」

 

 

 

 トレスがコーヒーを飲み干し、席を外すころには、

 紙袋の中身が、すっきりと空になっていたのだった。

 

 

 

 











クレアはいい仲間と友達がいると、私は思います。
そりゃ、ここまで心配してくれる人達がいるんですからね。
羨ましいヤツです。

そして今回はトレス多めです。
彼はキリエちゃんのためなら、何でもしそうなイメージがあるのですが、
それは私だけでしょうか?
でも、駄目なことはちゃんと駄目だと言ってくれそう。
恋人想いなヤツです、フフッ(笑)。







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