もう少し哨戒するというトランディスを残し、 クレアとアベルは一路軍施設の宿舎へ向かって歩き始めた。 宿舎はウェステルの中心部にあり、ここに集団で生活していた。 クレアの部屋は、この建物の奥にある1番広い部屋だった。 「こんなに立派な部屋じゃなくてもよかったのに」 「執務室と一緒になってる関係上、どうしてもこうなっちゃうんですよ」 執務卓がある部屋と寝室が壁で区切られていて、 双方がそれぞれ同じぐらいの広さを保っていた。 もっと狭いと思っていたクレアとしては、予想外な展開だった。 「私1人で使うには、ちょっと広すぎない?」 「そうでしょうか? ヴァーツラフさんの時は何も言いませんでしたが」 「そう? ……なら、別にいいんだけど」 前ウェステル大佐であるヴァーツラフが気にしなかったのであれば、 きっとこれがちょうどいいのかもしれない。 クレアはそう思うと、トランクを隣の寝室に置いて、 執務室へ戻って、執務卓に軽く腰掛けた。 灰皿があることを確認した上で、ズボンのポケットにある煙草を取り出し、 1本だけ抜き出す。 だが口に加える前に、アベルによって取り上げられてしまった。 「別に吸ってもいいでしょ?」 「構いません。でも、今はいけません」 「何よ、それ? 意味がよく分か……」 クレアの発言は、ここで止められてしまった。 突然のことに、目を閉じるのを忘れてしまったが、 あまりにも深くて、自然と瞼が下りていく。 腕がアベルの背中に回り、体を支えようとする。 アベルもクレアを支えるように腕を回す。 そして、ゆっくりと2人の距離がかすかに離れた。 「……反則よ、アベル」 「この場に及んで、反則も何もないだろう」 口調が戻っていることに、クレアは驚きながらも、嬉しかった。 この地に来たら、もうこんな風に話してくれないかと思ったからだ。 「よかった」 「何が?」 「話し方が普通になったから、よかったと思って」 「さすがに大人数の前じゃ無理だからな」 「そうだけど」 そっと包み込まれ、アベルの胸の中に蹲る。 そんなクレアの髪を、アベルはそっと撫で下ろす。 普段は強そうに見えるが、本当はどうしようもなく弱く、 どうしようもなく甘えん坊なクレアを唯一知っているのは、 誰でもないアベル1人だけだった。 だからこそ、彼はクレアがこの地に来たことを、誰よりも喜んでいた。 「……もう少しだけ」 どこか弱ったような声が、アベルの腕を、さらに強めていく。 「もう少しだけ、こういさせて」 「……ああ」 髪にそっと唇をあて、少しでも安心させようとする。 よく考えてみれば、最後に会った日から3ヶ月ほど立っていたことを、 アベルはふと思い出した。 これからは、クレアが不安になったらすぐに駆けつけ、 こうして支えることが出来る。 そう思うと、アベルは今、自分の胸元にいるクレアを離したくなかった。 が、それも長く続くことはなかった。 「クレア、いるか?」 聞き覚えのある声が扉の奥にして、2人は思わず顔を見合わせる。 「どうやら、時間切れみたいね」 「らしいな」 「ま、まだこれからもあるんだし、ね」 「そういうことにしておくか」 「いるわよ、レオン。入りなさい」 どうやら、誰の声なのか分かったらしく、 クレアはすぐに相手を招きいれた。 もちろん、アベルとクレアの体は、もうすでに離れている。 「ああ、何だへっぽこもいたのか。2人きりだと思ったのによ」 「それ、どういう意味ですか、レオンさん?」 「まあまあ、そんな顔するなって。……それより、久しぶりだな、クレア。5年ぶりぐらいか?」 「そうね、レオン。無事に大尉としての役割を果たしているようじゃない。噂は聞いているわ」 ウェステル陸軍大尉レオン・ガルシア・デ・アストゥリアスとは、 皇帝区にある軍事学校時代に知り合っていたため、 クレアはとても懐かしく感じた。 「何やかんやで、まあ何とか無事にやってる。お前が上司なのが変な感じはするが、まあ、アベルが 「それじゃまるで、私が頼りないみたいじゃないですか」 「現に頼りないだろうが、へっぽこめ」 「へっぽこへっぽこ言わないで下さい!」 このアベルの性格の変動振りは、どこかにスイッチでも仕込んであるのだろうか。 クレアは彼の頭の回転のよさに、思わず感心してしまう。 確かにへっぽこなのかもしれないが、いざという時の判断力は鋭いのを、クレアはよく知っている。 「そう言えば、大尉がもう1人いるのよね?」 「ああ、そうそう。トレス・イクスと言って、まあ少々扱いにくいが、こいつよりも使えるやつだ」 「うんうん、トレス君は私と違って……って、レオンさ〜ん!」 「まあ、そう凹むなって」 宥める姿でさえ冗談っぽく見えてしまうレオンに、クレアは思わず笑ってしまう。 だが信頼しているからこそ、アベルが中佐としての仕事を全うしているはずだから、 彼の言うことは冗談だということにすぐ気がついた。 「話し中、失礼する」 そんな3人の間を縫うように、再び扉の奥から声が聞こえる。 クレアが中に入るように言うと、そこから登場した人物は彼女に対して、 敬意を表するかのように敬礼をする。 「ウェステル陸軍大尉トレス・イクスだ。クレア・キース大佐、卿の派遣を歓迎する」 「こちらこそ、よろしくね、イクス大尉」 差し出した手に反応することなく、トレスはクレアの顔を見つめている。 どうやら、あまりこういう形式が好きではないらしい。 「トレス、握手ぐらいしろよ。これから、お前の上司にあたるんだぞ」 「俺はそういう形を好まない。さらに付け加えるが、今後、俺のことは名前で呼んで欲しい」 「そう? なら、トレスと呼ばせてもらうわ。私のことも名前で呼んでもらって構わないわよ」 「否定。卿は俺の上司にあたる人物だ。よって、卿のことは大佐と呼ばせてもらう」 確かに、レオンの言う通りにアベルよりも使えるかもしれないが(失礼な)、性格が少々固すぎる。 クレアとしては上下関係とか、堅苦しいものを取っ払いたいところがあったため、 思わず苦笑いしてしまった。 「そう言やあ、トランディスはどうした?」 「ああ、トランディスさんなら、もう少し哨戒してから戻るとおっしゃっていましたよ。それが何か?」 「今夜、“セイレーネス”でクレアの歓迎会をすることになっているから、来るかどうか聞こうと思ってな」 「それなら、きっと来ると思いますよ。トランディスさんが、そういうの欠席するとも思えませんし」 「肯定。ハザヴェルド将校の本日のスケジュールはすべて終了している。よって、彼が出席しない 確率は0.01パーセントに過ぎない」 3人の会話を聞きながら、クレアはふと思い出したことがあった。 それは、レオンが発した店の名前だった。 「セイレーネス」。 確か、彼女の友人が開いていた店もそんな名前だったはず。 さらに言えば、先ほど駅で助けた双子から貰った紙にも、 この店の名前が書かれてあった。 「その店、何時から開店しているの?」 「あと1時間もすれば開くだろう。ショー自体はもっと遅いがな」 「キース大佐、その間にこの宿舎を案内する」 「それじゃあ私は、トランディスさんを探してきます」 「俺も手伝うぜ、アベル。お前1人じゃ、頼りないからな」 「頼りない頼りない言わないで下さい!」 レオンに怒鳴りながらも、アベルはいそいそと執務室を後にしていく。 そんな後ろ姿を見つめながら、クレアは小さくため息をついた。 「人というのは、変わろうと思えば変われるものなのね」 「何か言ったか、キース大佐?」 「いいえ、何も。じゃ、他の施設を案内して」 「肯定」 言葉の意図が読めずに首を傾げるトレスを見て、 クレアはかすかに笑いながら、執務室を出て行ったのだった。 |
アベル、俺様全開です(自爆)。
これから、クレアと2人きりの時は毎回こんな感じになります。
あ、いちゃついている、という意味じゃなくです(分かってるってば)。
レオンとは、本文の通り、軍事学校で一緒だったのでよく知ってます。
トレスはこの時が初対面ですが、情報としてはちゃんと入手してあります。
まあ、クレアのことですから、ここまで来る間に全員分把握しているのでしょうがね(それもすごい)。
これで、軍側のメインキャストは揃いました。
まだ2人ほど出てきてませんが、それは私もまだ書いてないので(汗)。
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